井の頭線 (吉祥寺~久我山)
久しぶりに京王井の頭線沿線を歩いてみることとした。 まず今日は、京王吉祥寺駅から久我山まで、4駅(駅間距離2.5km)を歩いた。 1万歩。
・・・・・・・・・・・・・渋谷(起点)と吉祥寺(終点)を結び、途中小田急小田原線・京王線と接続し、武蔵野台地を走り抜ける京王井の頭線。 吉祥寺からはほぼ下り勾配で渋谷までの全線距離は12.7km、駅数は17。 井の頭線の歴史は、チョイトややっこしく、昭和8年(1933)に帝都電鉄が渋谷~井の頭公園間を開通した。 翌昭和9年(1934)、井の頭公園~吉祥寺間を開通する。 昭和15年(1940)に帝都電鉄は小田原急行電鉄と合併し、現:井の頭線は同社の帝都線となる。 昭和17年(1942)には、小田原急行電鉄が東京横浜電鉄に合併され、東京急行電鉄(大東急)の路線となり、帝都線を井の頭線と改称。 昭和23年(1948)、東京急行電鉄の再編成により、井の頭線は京王帝都電鉄の所有路線となる。 つまり井の頭線は、帝都電鉄で生まれ、小田急・東急と契り、戦後になり、京王と再婚し落ち着いた。、、、、現在運転されている車両は、9種のパステル系の色でカラーリングされている。「次に来る電車の色は?」と、楽しめる!
●出発は吉祥寺駅 ・・・・・・JR吉祥寺駅は明治32年(1899)の開業であるが、井の頭線の吉祥寺駅は35年後の昭和9年(1934)4月1日である。 5両編成の電車が停まる、頭端式ホーム2面2線を有する高架駅。 一日約15万人が乗降し、京王電鉄の駅の中では新宿駅、渋谷駅に次いで3番目に多いそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・水門橋から100m程下流で、井の頭線は橋梁を渡り神田川を越える。 この橋梁には、「竹内清鉄工所製作 昭和七年拾月」のプレートがある。 井の頭公園~吉祥寺間の開通は昭和9年であり、この橋梁は開通時からのものだ!
・・・・・・・・・・・・・・三鷹台駅の手前に立教女学院のキャンパスが見える。 ここでは、小・中・高の女学生が学んでいる。 学校は立教大学と姉妹校の関係にあり、大学へは推薦入学もあるそうだ。 卒業生には、野際陽子、鮎川いずみ、松任谷由実など美人・才女がいる。、、、、私は、昭和7年竣工の礼拝堂などの校舎が見たかった。 男子禁制、助平親爺は絶対ダメ、校門前で怖そうな警備員が睨んでいる、まだ命が惜しいので、今日はパスする。
●見たか、三鷹台駅 ・・・・・・・・・・三鷹台駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 駅と駅の南側は三鷹市であるが、駅の北側は杉並区。、、、、【極秘情報】三鷹市には“三鷹”とつく地名は無い。 この駅が、なぜ“三鷹台”となったか、不明?
・・・・・・・・・・・・・・三鷹台~久我山間は切通しとなっている。 跨線橋の一つで、右親柱に「ぎんざうばし」と書かれた「銀蔵橋」がある。 左の親柱には「昭和八秊七月造」と書かれているので、井の頭線開通時に架けられた橋だ。、、、、昭和の初め井の頭線の開通に向け、切通しとなった線路の南側の畑へ行けなくなる「秦銀蔵さん」のために、当時の帝都電鉄が建設したもの。 橋は古レールで造られており、現在は重量制限(2t以上通行不可)がある。、、、、今では畑は探しても見つからない!