東急大井町線

2015年9月21日 (月)

東急大井町線(二子玉川~溝の口)

大井町線踏破の最後、二子玉川駅から溝の口駅まで、1万歩、8Kmの散歩です。

①二子玉川駅・・・・・・・・・・明治40年(1907)、玉川電気鉄道の玉川駅として開業したが、現在は二子玉川駅になり、田園都市線と大井町線が乗り入れる、若い人に人気の駅。 二子玉川~溝の口間は、複々線化されて田園都市線と大井町線の両線が走っている。、、、、、昭和41年(1966)に田園都市線が高架駅となり、以後、改良工事も行われ、現在は島式ホーム2面4線の高架駅となり、両側の1・4番線を田園都市線、中央の2・3番線を大井町線が使用している。 

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・・・・・・・・・・・・・長編成の電車が発着するため、駅敷地のスペースもなく、ホームの半分は多摩川の河川敷にはみ出している。

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・・・・・・・・・・・・・ホームの溝の口寄りに立つと、多摩川をこえた先に、お客の姿までは見えないが、隣の二子新地駅のホームが見える。 

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②二子橋
・・・・・・・・・・・二子橋は片側1車線、人道は下流側のみの道路橋であるが、昭和41年(1966)までは、橋の中央に単線の線路がひかれた鉄道道路併用橋であった。 東京都側は多摩川通りに接続し、神奈川県側は大山街道に接続している。、、、、、、大正14年(1925)に竣工した、橋長440m、幅員11mの橋。 戦後の高度成長期まで、11m幅の中央に電車が走り、左右に1車線の車が走り、その隙間を人が歩き、、、、、渡るのが怖かったかも?

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・・・・・・・・・・・・・現在は下流側に東急の二子橋梁が架かっている。 ホームが川の上にあるのが判る。

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・・・・・・・・・・・・・・上流側には、昭和49年(1974)に竣工した新二子橋がみえる。

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・・・・・・・・・・・・・橋を渡り、大山街道の入口に、二子橋の親柱が残されてた。

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③二子新地駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、玉川電気鉄道溝ノ口線の「二子」停留所として開業。 昭和10年(1935)に「二子新地前」に改称し、 昭和41年(1966)には、相対式ホーム2面4線を有する高架駅となった。 その後、駅名も「二子新地」と改称し“前”がなくなった。、、、、と言うことは、三業地として“男の歓楽街”が消えてしまったのである。 残念、無念、坊主の邪念!、、、、、でも、“新地”とは、何となく艶っぽい言葉の響き、いい駅名だね!

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・・・・・・・・・・・・・蛇足だが、、、、当時の駅名「ふたこしんちまえ」を車内放送すると、お客には 「つぎは、ふたこしんちまえ~」というアナウンスが、「次は、双子、死んじめぇ~」と聞こえたそうで、不評だったそうだ。、、、、ナルホド、ナットク、ホットドック! ホントか? 


④二子神社
・・・・・・・・・・駅の北に天照皇大神が鎮座する二子神社がある。 神社は寛永18年(1641)創建といわれている。 江戸時代の社殿は拝殿二間に三間、本社三間四方、南向きに建っていたと風土記に書かれているらしい。、、、、、現社殿は、昭和18年(1943)に建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、バクハツする彫刻家:岡本太郎(1911~1996)の、母で作家:岡本かの子(1889~1939)の碑がある。 制作はもちろん岡本太郎。

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⑤光明寺
・・・・・・・・・・・真宗大谷派の光明寺は、創建年代不詳だが、寛永18年(1641)に百姓と共に、二子村の現在地に移ってきたといわれている。、、、、、、現本堂は、浄土真宗地方本堂の様式をとどめ、街中の寺院であるが落着いた佇まいをみせている。

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⑥高津駅
・・・・・・・・・・手前の二子新地駅と同様に、昭和2年(1927)の開業。、、、、、相対式ホーム2面4線を有する高架駅。

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⑦大山街道
・・・・・・・・おもに江戸時代、関東各地から相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称で、「大山街道」と呼ぶ。 その一つが、「青山通り大山道」で、矢倉沢往還とも呼ばれる。 赤坂(東京都)をスタートし、渋谷、三軒茶屋、二子の渡し(多摩川)、溝口(川崎市)、長津田、海老名、厚木、伊勢原市、を経て大山へ至る道。、、、、、、二子新地から溝の口間の、大山街道を歩いてみた。 二子神社光明寺なども街道沿いの寺社である。

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・・・・・・・・・・・・・・・江戸時代からの薬屋。昭和35年(1960)まで店として使われた蔵。

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・・・・・・・・・・・・・・・大山道の道標

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・・・・・・・・・・・・・・街道が横切る二ヶ領用水

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・・・・・・・・・・・・・・

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⑧溝口神社
・・・・・・・・・・溝の口駅の北側に位置する神社は、創建年代不詳ながら赤城神社と称して溝の口村の鎮守社だった。 明治維新後、伊勢皇大神宮よりから分霊を勧請して祭神を天照皇大神に改めて、溝口神社と改称、村社となった。、、、、、群馬の“赤城山”では、チョイとマイナーで、お札・お守り・おみくじの売れ行きも良くないので、次回サミットが開かれる“伊勢”から人気ある皇大神宮を呼び寄せ、売り上げ拡大を狙ったわけだな! (勝手に、勘ぐってみたりして、ゴメン!)

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⑨溝の口駅
・・・・・・・・・・・・ここも、昭和2年(1927)、玉川電気鉄道溝ノ口線の溝ノ口駅として開業した。 島式ホーム2面4線を有する高架駅で、大井町線の終着駅である。 

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・・・・・・・・・・・・・・大井町線の終着:溝の口駅には車止めは無く、線路は田園都市線に入って行く。

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●・・・・・・・・・・・・これにて、大井町線の全18駅踏破を達成! 

2015年9月11日 (金)

東急大井町線(九品仏~二子玉川)

雨もあがり、久しぶりに朝から青空、東急大井町線の九品仏駅から二子玉川駅まで、1万2千歩、9㎞の散歩です。


①九品仏駅
・・・・・・・・・・・・今日は駅の北側にある浄真寺 に寄らず、南側の住宅街を歩いた。

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②線路沿いを歩く
・・・・・・・・・・線路の南側(尾山台3丁目)を歩く。、、、、自由が丘~二子玉川間が開通した昭和4年(1929)当時の尾山台3丁目は、田圃が広がり、民家もほとんど無かったようだ。、、、、、現在の線路の北側(等々力5)は、人も羨む高級住宅街である。(私も羨み、今日は歩かず。)

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③尾山台駅
・・・・・・・・・・大井町線の開通から1年遅れの昭和5年(1930)に、島式ホーム1面2線の地上駅として営業を開始した。 昭和39年(1964)に、現在の相対式ホーム2面2線に改築。 改札は方面別にそれぞれ一か所ずつある。、、、、、、東京都市大学(旧武蔵工業大学)世田谷キャンパスの最寄駅だが、学生の姿が少ないようだ。 まだ、夏休みボケで寝ているのか?

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・・・・・・・・・・・・・・・駅前から等々力駅の方を望む。、、、、、、、、等々力駅まで、線路は真っ直ぐ伸びている。 ちなみに駅間の距離は500mと短い。

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・・・・・・・・・・・・・等々力2丁目の住宅街、、、、、、静かな町のようだね。

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④等々力駅
・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)に開業した1面2線の地上駅。 上り線と下り線に挟まれて駅舎があり、改札を出ると必ず上下どちらかの踏切を渡らないと、道路に出られない。、、、、、、駅構内が狭く、九品仏駅と似ている。、、、、、、輸送力を増やし、混雑を緩和するため、等々力駅を地下駅にして急行通過線を増設する計画があるが、駅の地下化工事により近くの等々力渓谷の湧水が妨げられ、渓谷の自然が破壊されるとの懸念から、工事に反対する住民の声が上がった。 計画の実現は難しいようだ!

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⑤等々力渓谷
・・・・・・・・・・・・渓谷を流れる谷沢川(やざわがわ)は、世田谷区桜丘を水源とし、多摩川まで流れ下る、ナント!総延長3.7㎞の一級河川である。 谷沢川は等々力駅の西側から等々力渓谷公園として整備され多摩川へ向かう。、、、、、、今日は“さわり”の部分をチョイと歩いてみた。、、、、、、雨上がりのしっとりとした遊歩道を歩くと、心地よい風が肌を撫でてくれる。 二人で歩けば、しっとり濡れるかも?

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⑥雨上がり
・・・・・・・・・好みの傘はどれ?

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⑦上野毛1丁目の大井町線
・・・・・・・・・・
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⑧上野毛駅
・・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)、目黒蒲田電鉄の二子玉川線の駅として開業。、、、、、、旧木造の駅舎は取り壊され、現在は平成23年(2011)に安藤忠雄の設計、鹿島建設+東急建設の施工で竣工した新駅舎となっている。 この駅舎は掘割を走る線路上に陸橋が架かり、橋上はバスも走る公道である。 この公道の両側に向かい合って「正面口」と「北口」という改札口がある。 それぞれの駅舎は公道をまたぐ大屋根でつながっている。 大屋根は大きな穴が開いており、青空も見える特徴的なものである。

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⑨五島美術館
・・・・・・・・・・・上野毛駅から歩いて数分、五島家の住宅の隣りに、五島美術館がある。 昭和35年(1960)に開館した、日本・東洋の古美術を中心に、『源氏物語絵巻』、『紫式部日記絵巻』などの国宝5件、重要文化財50件を含む約5000件の収蔵品を誇る美術館。 もちろん、東急を創設した実業家:五島慶太のコレクションである。、、、、、美術館の敷地は五島邸の敷地の一部(約6000坪)が提供された。 武蔵野の面影残す雑木林が庭園を特徴づけている。 本館の建物は、芸術院会員:吉田五十八(1894~1974)による設計。しました。 寝殿造の意匠を随所に取り入れた建物は、昭和36年(1961)、第二回建築業協会賞を受賞した。

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・・・・・・・・・・・・・・美術館の隣りには五島家の住宅がある。

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・・・・・・・・・・・・・美術館(左側)脇の掘割を大井町線は走る。 正面は「楽天クリムゾンハウスアネックス」ビル。

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⑩二子玉川駅
・・・・・・・・・・・明治40年(1907)に玉川電気鉄道(東急玉川線)玉川駅として開業。 戦後は、遊園地の復活に合わせ、「二子玉川園駅」と改称する。 昭和60年(1985)には遊園地が閉園したが、駅名はそのまま使用していた。 平成12年(2000)に、二子玉川とした。、、、、、大きな駅で、年寄りには疲れる駅だ!

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2015年9月 5日 (土)

九品仏

東急大井町線完全踏破を目指し、今日は九品仏駅から二子玉川駅まで歩くつもりで家を出た。 九品仏駅で下車し、駅名の由来となった浄真寺にチョイと立ち寄る。 参道にて、浅草神社の神職と称する方と親しくなり、境内を案内していただいた。 駅名になるほどの大きな広い寺を、堂宇は中に入り、庭の木々を1本ずつ、墓地は個々の墓の前で、親切・丁寧な説明をしていただいた。 お別れするまでタップリ2時間の拝観となり、後姿に頭を下げて、『今日の散歩はこれでおしまい!』と囁き、再び九品仏駅に戻り帰宅。 8千歩尾、6㎞の散歩。


九品仏駅
・・・・・・・・・・・・九品仏(くほんぶつ)駅は、二子玉川寄りの車両一両だけドアが開かない、ホームの短い駅である。 現在は全て大型車両(20m)5両にて運転されているが、昭和50年代に、大規模な東急車両の配転が行われ、一時、大型車両5両と、中型車両(18m)6両が混在した運転が行われた。 この時は、中型車両の2両がドアの開かない運転だった。

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・・・・・・・・・・・・・中延駅ホームの乗降位置に標されていた、『九品仏ではこの車両のドアは開きません』。

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②九品仏浄真寺
・・・・・・・・・・・・・正式には「九品山唯在念仏院浄真寺(じょうしんじ)」と言う、浄土宗の寺で京都知恩院の末寺。 浄真寺は、秀吉の小田原征伐後に廃城となった世田谷吉良氏の奥沢城の跡地に、延宝6年(1678、=徳川四代将軍家綱の時代)に開山した。 今でも、城跡と思わせる参道・総門の配置、土塁の遺構なども見られる。

・・・・・・・・・・・・・・九品仏駅から参道が伸ている。 奥沢城の時代の参道は、ポストの左側の細い道だけだったらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・閻魔堂、、、、、、総門をくぐり右手に閻魔堂がある。 正面の大王の横に「葬頭河婆(そうずかば)=奪衣婆(だつえば)」も控えている。 堂の前には、亡者の生前の罪の重さを計る衣領樹(えりょうじゅ)と書いた木がある。、、、、、奪衣婆とコンビを組む懸衣翁(けんえおう)は、本日は修理のため留守だった。

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・・・・・・・・・・・・・仁王門、、、、、、寛政年間に建立された仁王門の上層には二十五菩薩が、下層には阿吽の仁王像が安置されている。 寺の伝統行事「お面かぶり」は、この二十五菩薩の面をかぶり、本堂(現世)と三仏堂(彼岸)の間に架けられる橋を渡り行き来するそうだ。 4年に1回行われる行事で、お面をかぶることができるのは、昔は“講”の人だったが、現在は檀家の人がかぶるそうだ。 ちなみに、かぶることのできる人は3万円払うらしい(?)。

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・・・・・・・・・・・・・綺麗に手入れされている庭。 聞いた話では、、、、現住職の奥様が、庭の石・樹木も整備されたらしい。 真偽の程は?

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・・・・・・・・・・・・・・本堂、、、、、、、元禄11年(1698)に、本堂(=龍護殿)の正面に向かいあう三仏堂と共に建てられた。 総欅造りの11間四面の堂。 昭和42年(1967)に修築し、かや茸屋根を銅茸にかえた。、、、、、、本堂には釈迦牟尼仏を中心に、善導大師、法然上人の像などが安置されている。 堂の奥の隅には、身体の悪いところを撫でると治る、ぴんずる尊者像がある。 私は像の身体じゅうを撫でてきた。

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・・・・・・・・・・・・・・三仏堂、、、、、、、本堂正面に向かい合う三つの堂(元禄11年~12年建立)には、それぞれ3体の丈六の阿弥陀如来9体があり、右から中品、上品、下品の位があるので九品仏といわれている。 本堂の現世に対して、三仏堂は浄土の彼岸をあらわしている。、、、、、関西の九品仏として、京都の木津川市(奈良若草山の北側)にある浄瑠璃寺を思い出した。

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・・・・・・・・・・・・・・三十三観音、、、、、、、案内してくれた方が「綺麗な観音様が祀られているから見て行きなさい」と教えてくれた観音堂。 “綺麗”、“観音様”と聞いては、見て行かずばなるまい! 小さな観音堂で、一人で扉を開け、一人でこもり、一人で合掌、仏の道に帰依したような気分で観音様を見つめてみた。、、、、、、『ウム~、なるほど綺麗だ!』、、、、、、堂を出て『チョイと色気が足りないね!』

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・・・・・・・・・・・・・墓地では、著名人の墓のいくつかを案内していただいた。 まずは、観世流家元の墓

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・・・・・・・・・・・・・俳優:実業家(洋食屋「紅花」のオーナー):ロッキー青木(1938~2008)の墓

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・・・・・・・・・・・・・五島慶太の墓、、、、、正面は五島家、その左側に五島慶太の墓

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・・・・・・・・・・・・・・クレージーキャッツの石橋エータロー(1927~1994)が眠る石橋家の墓

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・・・・・・・・・・・・・巨人軍名誉監督家の墓

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・・・・・・・・・・・・・山久運輸を創設した中村家の墓、、、、、真後ろに菊田一夫の墓がある。

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・・・・・・・・・・・・・「君の名は」、「放浪記」の菊田一夫(1908~1973)の墓

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●・・・・・・・・・・・・・・・・きっと、再び訪れたくなる、印象深い寺であった。

2015年8月12日 (水)

東急大井町線(大岡山~九品仏)

東急大井町線の大岡山駅から九品仏駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。 (前回の大岡山駅まではコチラ


東京工業大学
・・・・・・・・・・大岡山駅前にキャンパスが広がる東京工業大学は、震災後の駒場での仮住まいから、大正13年(1924)年に現在の大岡山に移り、昭和4年(1929)に「東京工業大学」と称した。 一方、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)は大正12年(1923)に開業し、昭和2年(1927)には大井町線も開業した。、、、、、、大岡山のキャンパスは、移転当初から目蒲線の南北に敷地が確保され、北地区には全学科の教室・工場・実験室を配し、南地区には学校本部・共通学科の建物が配された。 現在のキャンパスの利用法と同じようだ。、、、、、今日は、大井町線を追っかけキャンパスの北地区を通り抜けてきた。

・・・・・・・・・・・・・大岡山駅前の正門を入ると、ケーキのような三角形の図書館がある。

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・・・・・・・・・・・・・・図書館の西側の坂を上り、キャンパス内の南北地区を結ぶ跨線橋から眺めると、、、、、、跨線橋の下で目黒線と大井町線が大岡山地下ホームに出入りし、その先は横浜方面に直進する目黒線と、その上を右に曲がり二子玉川方面に向かう大井町線の分岐ポイントが見える。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス北地区では、緑豊かな木立の中に実験棟が点在する。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパスの出入口は、緑ヶ丘駅の高架下に直結する。

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②緑が丘駅
・・・・・・・・・・昭和4年(1929)の大岡山~自由ケ丘間の開業に合わせ、「中丸山駅」として開業した。 昭和8年(1933)には、緑ヶ丘駅(現:緑が丘駅)に改称。、、、、、、現在の駅舎は相対式ホーム2面2線のホーム下に改築された近代的な駅だが、以前は交差点角に向かい四半分の円形型に出て、勾配の緩い薄い屋根を細い円柱4本が支える昭和モダンな駅であった。、、、、、、山手の静かな駅で、“絵”になったね!

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③海軍村
・・・・・・・・・・緑が丘駅から大井町線沿いに世田谷区奥沢2丁目を歩くと、海軍村の案内が目に入った。 地元の町並み保存の団体が活動しているようだ。 『海軍村』とは、、、、、、大正12年(1923)、関東大震災後、田園調布の開発に触発され、奥沢村でも耕地整備の対象となった。 震災後の郊外への転居ラッシュなどもあり、地元、世田谷区では人口増加もあり、さらに、当時の海軍将校にとっては、横須賀の基地・目黒の海軍研究所・霞が関の海軍省などに便利なこともあり、ココ奥沢に海軍軍人らが殺到した。 多いときには30世帯程が住み、「海軍村」が誕生した。 また、大井町線の線路を挟んで反対側には、洋行帰りの人が集まり「ドイツ村」も誕生したそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・案内板の貼り紙を見て、現存する住宅3軒を探してみた。

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・・・・・・・・・・・・・・・MU邸、、、、、当時植えられたシュロの木が洋風住宅のワン・ポイントとなっている。

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・・・・・・・・・・・・・K邸、、、、、、読書空間と称し、まちづくりに場となっているが、今日は門が閉められ入れなかった。 門の隙間から、玄関部分をチョイと撮影。

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・・・・・・・・・・・・・MS邸、、、、、、、白いポーチに葡萄棚が印象的だ。
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・・・・・・・・・・・・・・MS邸の近くには海軍村跡の碑がある

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・・・・・・・・・・・・・海軍村の近くに建つ住宅

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・・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、、、、、と思い「ドイツ村」を探してみたが、発見できず。 それらしき場所に、かすかに、チョイと“ドイツ風かな?”と思われる分譲住宅が建っていた。 

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④自由が丘駅
・・・・・・・・・・・1階地上ホームに大井町線が、2階高架ホームに東横線が入る乗換駅。  昭和2年(1927)、東横線の九品仏前駅として開業。 昭和4年(1929)、自由ヶ丘駅(現:自由が丘駅)に改称。また、同年には現在の大井町線が開通した。、、、、、、なんと言っても、山手のセレブを相手にする高級志向の店舗が並ぶ街。 私には、浅草・上野の空気が肌に合うね! 早々と駅から離れた!

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・・・・・・・・・・・・・・・遊歩道の両側には、シャレた、お高そうな、お店が並んでいる。

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⑤九品仏駅
・・・・・・・・・・・昭和4年(1929)に開業。 駅名は駅北側にある、九品仏浄真寺にちなみ命名された。、、、、、この駅の名物は、なんと言っても構内が狭く、ホームの両端は踏切で、ホームの長さは4両分しか確保されていないため、5両編成の大井町線は5号車(溝の口より)はドアが開かない駅となっている。 

・・・・・・・・・・・・・・駅舎は踏切の上下線の間にある。 改札はここのみ1か所。

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・・・・・・・・・・・・・・お手洗いは島式ホームの中央に鎮座している。 これも狭いため、致し方ないか、、、、、チョイと気の弱い人は、利用しにくいトイレだね。

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・・・・・・・・・・・・・・・溝の口側のホーム端部。

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2015年7月30日 (木)

東急大井町線(中延~大岡山)

きょうは、昨日の続きで、大井町線中延駅から大岡山駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。 今日歩いた、一部、中延~旗の台は、昨年もあるいいたので、コチラもみてね!



①中延駅
・・・・・・・・・・・・大井町線沿線のサラリーマン、学生の多くが、中延にて下車し、都営浅草線に乗り換える、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・人の流れは一方的に都営浅草線の中延駅に向かう、、、、、

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②荏原町第二架道橋
・・・・・・・・・・・・・・品川区中延4丁目付近の大井町線架道橋。 この付近の高架化工事は昭和32年(1957)頃に完成した。 中延駅が高架化されたのは、昭和32年7月である。、、、、、、今から60年前のこと! まだ、周囲には高い建物はなく、木造住宅の瓦屋根が並ぶ中に、鉄筋コンクリート造の高架橋か複線分一挙に造られていった。

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③線路沿いの路地
・・・・・・・・・・・・中延と荏原町、両駅のちょうど中間地点に、線路沿いに石畳の路地がある。 車はもちろん、人も通らず線路わきに出られる、私好みのナイショの道だ。
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④荏原町駅
・・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、大井町線の開業と同時に駅も開業した。 

・・・・・・・・・・・・・・溝の口方面行のホームに直結する正面口。

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・・・・・・・・・・・・・・・大井町方面はコチラからどうぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線の駅。 
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⑤荏原町2号踏切
・・・・・・・・・・・・・荏原町と旗の台、両駅の中間に位置する踏切。 踏切に立つと両駅が見える。、、、、、駅間距離は0.5kmなので、踏切から両駅までは250mぐらいだ。

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・・・・・・・・・・・・・・踏切から見る荏原町駅
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・・・・・・・・・・・・・・踏切から見る旗の台駅

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⑥旗の台駅
・・・・・・・・・・・高架で上を走る大井町線と、地上をのんびり走る池上線 が、立体交差する乗換駅。、、、、、、大井町線のホームは、昭和2年(1927)7月、目黒蒲田電鉄大井町線の東洗足駅として開業時した時には、現在位置より二子玉川寄りにあった。 池上線のホームは、同年8月、池上電気鉄道の旗ヶ岡駅として開業し、現在地より五反田寄りにあった。 つまり、それぞれ別会社がほぼ同時期に開業したが、ホームは離れ、駅名も異なっていた。 東急になり、戦後の昭和26年(1951)、両ホームを現在位置に移設し旗の台駅とした。

・・・・・・・・・・・・・・大井町線の乗降に便利な南口。 改札の上が大井町線のホームになっている。

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・・・・・・・・・・・・・・池上線のホームに直結する東口。 

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・・・・・・・・・・・・・・・チョイと古めかしい池上線ホーム上屋。 奥には大井町線の跨線橋が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・・・反対側から見ると、大井町線の下を抜ける池上線。

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⑦中原架道橋
・・・・・・・・・・・・・大井町線が中原街道をこえる架道橋。 以前は踏切で平面交差していたが、昭和38年(1963)に架道橋が完成し、立体交差となった。

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⑧環状七号架道橋
・・・・・・・・・・・中原架道橋に続いて、環状七号線をこえる架道橋。 昭和39年(1964)完成。、、、、、両架道橋は250m程しか離れていない。

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⑨北千束駅
・・・・・・・・・・昭和3年(1928)池月駅として開業し、2年後には洗足公園駅に改称。 さらに、6年後の昭和11年(1936)に北千束駅に改称した。、、、、、姓名判断でもしたのか? はたまた、飲み屋勤めで源氏名だったのか? コロコロ変わりすぎだ!、、、、、、駅名は変わっても、駅の雰囲気は昭和の面影を残す、渋い!、いい駅!

・・・・・・・・・・・・・駅の出入口は、自動改札機3台が並ぶガード下の1か所のみ。 待ち合わせには、「駅の改札で待ってます」の一言で、間違えずに伝わる、判りやすい駅である。

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・・・・・・・・・・・・・ホームは島式1面2線で、木造の上屋も“昭和の匂い”がプンプン。
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大岡山駅
・・・・・・・・・・・大正12年(1923)に、目黒蒲田電鉄線(現:目黒線)の駅として開業し、昭和2年(1927)には、大井町線も開業した。 平成9年(1997)に、駅の地下化が完成し、ホームは地下に潜った。 平成19年(2007)に、地上の改札の上に、5階建ての「東急病院」がオープンした。 外壁では植栽され、建物は緑のベールに覆われたデザインだ、いいね!

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2015年7月29日 (水)

東急大井町線(大井町~中延)

東急大井町線の起点:大井町駅から線路沿いに歩いて中延駅まで、1万歩、7㎞の散歩です。


東急大井町線
・・・・・・・・昭和2年(1927)、目黒蒲田電鉄(目蒲電鉄)が大井町~大岡山間の大井町線を開業した。 昭和4年(1929)に自由ケ丘(現:自由が丘)~二子玉川間を開業し、同年の暮れに大岡山~自由ケ丘間を開業した、これにて大井町線の全線が開業した。 昭和18年(1943)には二子読売園(二子玉川)~溝ノ口間を大井町線に編入した。 昭和38年(1963)年に大井町線を「田園都市線」に改称する。 地下鉄半蔵門線が開通すると、昭和54年(1979)には溝ノ口~二子玉川園(二子玉川)は田園都市線として残り、電車は渋谷経由で半蔵門線に乗り入れた。 この時、大井町~二子玉川園間が再び大井町線と称して、分離された。 そして現在は、二子玉川~溝の口は田園都市線と大井町線が並走し、大井町線は起点の大井町から終点の溝の口まで直通運転している。、、、、簡潔に大井町線の歴史を記したが、実態は駅名・線名などがかなり変化して、ややっこしく、解りずらい路線である。、、、、、書いた私も、解らずに参考書を引っぱり出した次第なり! 


①大井町駅
・・・・・・・・・・・・JR京浜東北線、東急大井町線、東京臨海高速鉄道りんかい線(長ったらしい名前だ!)が乗り入れる駅。 りんかい線は地下2階に乗り入れており、外から見えないので今日は無視!・・・・・・・・・・京浜東北線南行の最後尾で下車すると、大井町線との乗換改札にでる。 JRの橋上駅舎が京浜東北線ホームの上にある。

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・・・・・・・・・・・・・・朝のJRのホームは通勤客がいっぱい!、、、、、オ! 美人の駅員さんも朝は忙しそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・JRの改札の奥には東急大井町線の改札がある。 電車が到着するたびに東急の改札からはサラリーマン、学生がゾロゾロ、、、、、スタート・ダッシュの早い人もいる。

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・・・・・・・・・・・・・東急側の大井町駅の駅舎。 駅名表示の看板では、白地に右から東急、JR、東京臨海の順でマークが並ぶ。 

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・・・・・・・・・・・・・東急大井町駅は高架駅で、高架下には店舗が並んでいる。 一部には地下もあり、飲食店が入っているようだ。

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②東小路
・・・・・・・・・・・・大井町駅の橋上駅舎を出ると東側に、「東小路 飲食店街」と書いた横丁がある。 “○○横丁”、“○○小路”の一つだ! 朝なので開いてる店はないが、チョイと歩いてみた。、、、、、、、飲めない私でも、夜、ぜひ来てみたいと思う“昭和の小路”だ。

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③JR広町アパート・
・・・・・・・・・大井町線の高架の北側にある巨大なアパート(団地)が廃墟化するかも? ここは、JR東日本大井町社宅(旧国鉄広町アパート)の跡で、現在は仮囲いの中で空き家となっている。 12階建ての高層アパートが6棟並んでいる。 1棟には120世帯が入居し、全720所帯、約2,000人が住んでいたのか? 建物は昭和41年(1966)に完成し、耐震性能が満たされておらず、取り壊して再開発が予定されていたそうだ。 ところが、再開発計画が頓挫して、今年初旬の時点では、跡地利用は未定となっている。、、、、、、陸の“軍艦島”と言われないように、しっかり再開発してほしいね!

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④高架下
・・・・・・・・・・大井町の次の駅:下神明に近くでは、高架下の飲食店はすべて立ち退き、高架橋の耐震補強工事も終わっていた。、、、、、以前のような、ゴチャゴチャした高架下の雰囲気は再現されないようだ。 チョイと寂しいね。

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・・・・・・・・・・・・・・・4年前の同じ場所には、飲み屋、食堂が残っていた。(平成23年撮影)

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⑤下神明駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に、戸越駅として開業した高架下の薄暗い駅。 一日の乗降客は7,000人程で少ない。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の隣りに大きな空き地ができ、大崎駅前のビルを背景に新幹線がよく見える。

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・・・・・・・・・・・・・・・駅近くには、昭和8年(1933)に架けられたコンクリート造の橋の欄干が残っている。 川は暗渠化しその上は住宅の裏道となった。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の裏(西側)には、4層の立体交差 がある。、、、、一体として造られた4層ではなく、構造的にはバラバラに造られたものが、4層となったものだ。 最下層と第2層は「第2戸越架道橋」として道路上を横須賀線(品鶴線)が走り、第3層に東急大井町線、そして最上層に横須賀線の真上を新幹線が走行する。

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戸越公園駅
・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に、大井町線の開業と同時に蛇窪駅(へびくぼえき)として開業。 昭和11年(1936)、戸越公園駅に改称した。 、、、、、駅名の戸越公園は下神明駅と戸越公園駅のちょうど中間にある。

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・・・・・・・・・・・・・・・大井町線の車両に貼られているステッカーは何だ?、、、、、、白い矢印が大井町線、その他の細い線は他の東急各線(左から、田園都市線・東横線・目黒線・池上線)を表し、大井町線は東急各線を結んでいることを表現している、「誤乗防止用」ステッカーである。、、、、、、、お客さんの立場で、「なんだかサッパリ判らん?」

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・・・・・・・・・・・・・戸越公園駅の手前(大井町寄り)100m程にある下神明1号踏切

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・・・・・・・・・・・・・・中延駅から戸越公園駅に向かう電車。

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⑦新京浜架道橋
・・・・・・・・・・「新京浜」とは「第二京浜」のことで、中延駅の手前で大井町線は第二京浜を架道橋で越える。 昭和46年(1971)架橋。
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中延駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)開業。 
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