新中川

2016年2月15日 (月)

新中川 (八剣橋~高砂諏訪橋)

今日の散歩は、新中川の最下流から22番目の橋:八剱橋より、最後の25番目の橋:高砂諏訪橋まで渡り、これで全25橋を制覇した。 1万2千歩、9km。

 


①八剱橋
・・・・・・・・・・東岸の葛飾区奥戸9丁目と西岸の奥戸8丁目を結ぶ八剣橋(やつるぎばし)は、昭和34年(1959)に中川放水路(現:新中川)掘削工事に伴い架けられた。 橋長111.4m、幅員4.5m、7径間上路鋼鈑桁橋である。、、、、現在は、下流側に八剣橋人道橋が増設され人車分離となっている。、、、、橋名は西岸に所在する「八剣神社」に由来する。

 

・・・・・・・・・・・・・今日も八剣神社に手を合わせて行く。

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・・・・・・・・・・・・・・上流側(写真左)に八剣橋、下流側に一段高く八剣橋人道橋が架かっている。

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・・・・・・・・・・・・・・八剣橋人道橋、、、、人道橋であるが、自転車もこちらを渡る。

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・・・・・・・・・・・・・・八剣橋、、、、、2台がギリギリ行違える幅は、チョイときついね!
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②三和橋・・・・・・・・・・・八剱橋上流の三和橋(さんわばし)は、東岸の葛飾区細田3丁目と西岸の細田2丁目を結んで架かる。、、、、3径間連続プレビーム合成桁、橋長は119.0m、幅員は18.0mの現橋は、平成24年(2012)に架け替えられた。、、、、旧橋は、昭和36年(1961)に架けられた。

 

・・・・・・・・・・・・・・新中川の土手を歩いていると、黒い雲が見える、一雨降るかも、、、、いやな雰囲気だ!、、、、晴れることを祈り、「ハレルヤ・コーラス」を口ずさみ ♪♪ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ 全能の神 統べたもう ハレルヤ ・・・・・♪♪、すれ違う人が近づいたら小声となり、すまして通過。 聞こえていたら、恥ずかしい!!

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・・・・・・・・・・・・・三和橋に近づく、、、、ますます怪しく黒くなる雲、神は見放したもう!

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・・・・・・・・・・・・・・三和橋の西詰には、総戸数48戸(4棟)のこじんまりとした都営住宅:細田二丁目アパートがある。 小規模な団地でも、中央には立派な集会場と公園が用意されている。 昭和59年(1984)築。
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③細田橋・・・・・・・・・・東岸の葛飾区細田3丁目と西岸の細田2丁目を結び、昭和35年(1960)に架けられた。 その後、昭和54年(1979)下流側に人道橋が増設された。 上流側(写真左)は細田橋、下流側は細田人道橋。
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・・・・・・・・・・・・・・細田人道橋、、、、、、橋の中央には、川にせり出した小さなバルコニーもあるが、必要性は疑問?
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・・・・・・・・・・・・・細田橋、、、、、、5径間上路鋼鈑桁、橋長119.0m、幅員4.5mの狭い橋。
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④高砂諏訪橋・・・・・・・・・・新中川の最上流に架かる橋。 下流から数えて25番目の橋は、東岸の葛飾区高砂2丁目と西岸の高砂1丁目を結ぶ高砂諏訪橋(たかさごすわばし)である。 この橋も昭和36年(1961)に、中川放水路掘削工事に伴い架橋されたが、その後、下流側に人道橋が設置され人車分離された。、、、上流側(写真右)が高砂諏訪橋、下流側が高砂諏訪橋人道橋。
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・・・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋人道橋、、、、、、午前10時半だというのに、薄暗く、水銀灯も点灯していた。
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・・・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋、、、、、7径間上路鋼鈑桁、橋長135m、幅員4.5m。
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・・・・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋(写真左端)の上流左岸(東岸)から中川との分流点(右側)を眺める。 対岸中央付近に木が茂る処は新中川通水記念公園。
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⑤新中川通水記念公園・・・・・・・・・・・・中川と新中川の分流点に新中川通水記念公園(葛飾区高砂1)がある。、、、、葛飾区・江戸川区を流れる中川の流域は、川の氾濫による水害にたびたび悩まされてきた。 昭和22年(1947)のカスリーン台風、昭和34年(1959)の伊勢湾台風などでは、大きな被害をうけた。 東京都は防災の必要として、中川放水路(現:新中川)の掘削工事に戦前から着手し、昭和38年(1963)には工事を完成させた。 総工費53億8000万円が投じられた。、、、公園は、新中川の開通と同時期に整備され、園内の石碑には、新中川の経緯が語られている。

 

・・・・・・・・・・・・・・公園内の記念碑、、、、、チョイと耐震上危険であり、只今は柵が設けられている。

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・・・・・・・・・・・・・・公園から中川に架かる高砂橋 を眺める。

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⑥分流点・・・・・・・・・・高砂橋から下流の分流点を眺める。、、、、写真右から流れてきた中川は中央奥に向かって流れ下る。 中央から左奥へ流れるのが新中川。
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●・・・・・・・・・・・・・これにて、延長約8kmの新中川を踏破し、全25橋梁も制覇したこととする。 全5日間でした。 

        下流から、瑞穂大橋~涼風橋 ・・・・・・2月5日

            春江橋~大杉橋 ・・・・・・・・2月6日

            鹿本橋~小岩大橋 ・・・・・・・2月8日

            辰巳新橋~奥戸新橋 ・・・・・・2月12日

            八剱橋~高砂諏訪橋・・・・・・2月15日

2016年2月12日 (金)

新中川 (辰巳新橋~奥戸新橋)

JR総武線小岩駅で下車し、南へ向かい辰巳新橋へ向かう。 ここから、新中川を北へ遡り総武線を越えて奥戸新橋まで、そして再び小岩駅へ。 1万2千歩、9km。

 



①沖天祖神社
・・・・・・・・・・小岩駅の南西300m程行くと、児童公園のようにすべり台・ブランコなど遊具がそろった境内の天祖神社がある。 創建年代は不詳であるが、明治維新の神仏分離令が出るまでは、隣の円蔵院が別当であった。、、、、、社殿は、戦後に建てなおしたのか(?)、チョイとお粗末である。

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・・・・・・・・・・・・・境内には「昭和14年(1939)2月」と刻まれた石造りの厳島神社も祀られている。 その­厳島神社の参道にはさし石(力石)が10個ほど並べられている。
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②円蔵院・・・・・・・・・・・・・沖天祖神社の隣は真言宗豊山派の円蔵院。 創建年代は不詳だが、江戸中期には創建していたらしい。 門前では庚申塔・地蔵尊が参拝客を迎えてくれるありがたい寺だ。

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③辰巳新橋・・・・・・・・・・・新中川の最下流から数えて16番目の橋が辰巳新橋である。 中川放水路(現:新中川)開削工事に伴い、昭和31年(1956)に初代の辰巳新橋が架けられたが、交通量の増大、橋の老朽化、幅員の狭さなどにより、平成5年(1993)に現橋に架け替えられた。 現在の橋は、橋長は120m、幅員15mのアーチ型ニールセンローゼ橋。 橋脚がなく、リズミカルで明るい感じのする橋。
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④JR総武本線中川放水路橋梁・・・・・・・・・・・・・・新中川に架かる鉄道橋で、総武本線緩行線の鋼橋が下流側に、上流側には快速線用に増設されたコンクリートPC桁橋が架かっている。 
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・・・・・・・・・・・・・緩行線の中川放水路橋梁は中川放水路掘削工事に伴い、昭和31年(1956)に架けられた歴史的鋼橋(土木学会選定)のひとつ。 1径間複線下路ワーレントラス橋、4径間単線上路プレートガーター桁橋。 国鉄の設計、橋梁製作は横河橋梁製作所。
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・・・・・・・・・・・・・ 昭和47年(1972)に高架・複々線化のため上流側に、長さ114.2m、下路コンクリートPC桁橋が増設された。 橋梁設計は国鉄、基礎工は錢高組、橋梁製作は横河橋梁製作所。
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⑤上一色中橋・・・・・・・・・・・新中川の東岸:江戸川区西小岩1丁目と西岸:上一色3丁目を結ぶ上一色中橋(かみいっしきなかはし)。 旧橋は中川放水路掘削工事により、昭和30年代に架橋されたが、老朽化と交通量に増加により、平成24年(2012)に現在の橋に架け替えられた。 現橋は鋼製3径間連続箱桁橋で、シンプルなデザインである。
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上一色橋 ・・・・・・・・・・上一色橋は、東岸:西小岩2丁目と西岸:上一色3丁目を結び、都道315号御徒町小岩線(蔵前橋通り)を通す。 昭和41年(1966)、蔵前橋通り築造工事に伴い架けられた、橋長約120.0mの5径間連続ガーダー桁橋。、、、、、私も、よく渡る橋だが、特徴も話題もなく印象の薄い橋だ。
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⑦上一色天祖神社・・・・・・・・・・上一色橋の東詰(西小岩2)に上一色天祖神社がある。 天照大神、経津主命、武甕槌命を祀る、旧上一色村の鎮守で、かつては神明社と呼ばれていた。 創建年代は不詳。、、、、、、、この神社で昔、行われていた裸祭りは、江戸に疫病が流行した時、病気退散のため始めたと言われている。 その様子を描いた板絵額が文化財として保存されているそうだ。 私は見たことがないので、一度見てみたいね!
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中川放水路橋梁 ・・・・・・・・・・・・上一色橋の上流に架かる新金貨物線の橋梁。  1径間単線ワーレントラス橋+4径間単線プレートガーダー橋で、橋長は約155.0m、昭和34年(1959)に竣工した。 橋脚は複線分造られている。 設計は国鉄、基礎工は熊谷組、橋梁製作は汽車製造。 現在はJR東日本の所有だが、JR貨物が線路を借受けて、一日数本の貨物列車を運行している路線である。 列車本数が少なく、貨物が通過する写真を撮るのは難しいね!
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奥戸新橋 ・・・・・・・・・・・新中川に架かる橋、21番目は葛飾区奥戸8丁目と9丁目を結ぶ奥戸新橋である。 この橋も中川放水路掘削工事に伴い昭和36年(1961)に架橋された。 橋長144.6mの5径間単純活荷重合成プレートガーダー桁橋で、橋上には奥戸街道を通す。
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⑩八剱神社・・・・・・・・・・・・・奥戸新橋の西詰に宝蔵院がある、さらにその北側に八剱神社(やつるぎじんじゃ)が隣接している。、、、、、、天文5年(1536)三河国の杉村小左衛門が当地を開拓するに当たり、守護神として勧請した、旧奥戸新田の鎮守です。 社殿は、度々、修繕・改築が行われ、現在の社殿は昭和47年(1972)に鉄筋コンクリート造で建て替えられた。
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2016年2月 8日 (月)

新中川 (鹿本橋~小岩大橋)

中川からの分流点を目指し、新中川を遡る散歩も今日で三日目、下流から数えて12番目の鹿本橋から15番目の小岩大橋まで歩いてきた。 1万1千歩、8km。




①鹿本橋
・・・・・・・・・鹿本橋は、江戸川区松本2丁目と鹿骨6丁目を結び、鹿骨街道を通す。 昭和30(1955)に完成した橋長118.4mの5径間単純プレートガーダー桁橋。 人道橋部分は後の増設らしく、実質2本の橋が架けられている。、、、、、橋は川筋に対し直角に架けられているが、鹿骨街道は川を斜めに横切る線形で通っている。 そのため、橋の両岸では急カーブとなっている。 区では橋の架け替えを計画しているが、その時は橋を川に対し斜めに架け、両岸の道路を直線的に結ぶ予定らしい。 ただし、架け替え時期は財政ひっ迫により未定だそうだ。、、、、、かつては、バスも通っていた橋だが、架橋後60年経過し老朽化が目立つ橋となった。 現在は、バスも怖いのか(?)上流側に架かる鹿骨新橋経由で川を渡っている。

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②鹿骨新橋・・・・・・・・・鹿本橋の上流側に100m程離れて並行に架かる鹿骨新橋(ししぼねしんばし)は、松本2丁目と鹿骨6丁目を結んでいる。 平成7年(1995)に道路整備とともに架橋された。 橋長119.3mの3径間連続非合成箱桁橋は、約16億5千万円の工事費で造られた。、、、、、橋は広い歩道と、途中で川に張り出したバルコニーを特徴としている、またバルコニーには子供の像も設置され、親しみやすさを演出している。 でも、橋の上には一人・二人が歩いている程度、チョイと寂しいね。
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③江戸川区の心遣い・・・・・・・・・・川べりを北風にさらされて一人で歩いていると、身も心も冷え、しばしば厠を探す運命に遭遇する。 土手の上で、“前”を押さえ、足を止めることもできず、おたおたするのは、中高年紳士の振る舞いとしては恥ずかしい。 『漏っちゃう、誰か助けて~~!』と、叫びたくもなる。、、、、こんな場面を知っている区役所の人は、さりげなく土手上に300~500m程の間隔で、こんな案内板を設置してくれた。 これで、安心して土手上を散歩することができる、ホッとするね!
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④長谷院・・・・・・・・江戸川区松本2丁目の浄土宗寺院の宝雲山慈光寺長谷院(ちょうこくいん)は、寛永8年(1631)に芝にて創建された。 創建以後は、数回の火災に遭い、平成16年(2004)に現在地に移転した。、、、、建物は新しく、平成16年(2004)の竣工である。 設計は宮崎浩/プランツアソシエイツ、施工は清水建設による、鉄骨造+鉄筋コンクリート造、3階建てで、「2006年 日本建築学会作品選奨」を受賞した。、、、、、お墓の奥にチラリとカッコイイ建物が見えたので寄ってみた。、、、、“寺”という感じはしないね!
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⑤松本橋・・・・・・・・・鹿骨新橋の上流には松本橋が架かり、東岸の江戸川区東松本2丁目と西岸の松本2丁目を結んでいる。 昭和31年(1956)に架橋され、昭和45年(1970)に橋の両側に歩道を増設し人車分離した。、、、、、歩道を歩くと、橋桁のつなぎめから、川面がチラチラ見え、車道との境は亀裂が入り今にもパックリ割りそう、私は恐怖を感じ速足で渡ってきた。、、、、この橋も架け替え計画はあるらしいが、財源がなく実施は未定。
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⑥松本天祖神社・・・・・・・・江戸川区松本2丁目にある天祖神社。 神社は、元和9年(1623)に創建された、旧松本村の鎮守社であった。、、、、、小岩大橋近くの西岸の土手下に鎮座してる。 昭和2年(1927)に彫られた狛犬が、しっかりと怪しい者を見張ってるようだ。
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小岩大橋・・・・・・・・・小岩大橋は、東岸の江戸川区南小岩5丁目と西岸の興宮町を結び、国道14号(千葉街道)を通す。 昭和30年(1955)、中川放水路(現:新中川)掘削工事に伴い架けられた長さ133mの5径間プレートガーダー橋。、、、、、さすがに国道が通る橋で整備もよく、同時期に竣工した下流の松本橋とは天と地の差がある。
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2016年2月 6日 (土)

新中川 (春江橋~大杉橋)

昨日の続きで、新中川の下流から数えて6番目の春江橋から11番目の大杉橋まで歩いてきた。 1万3千歩、10km。

 



①春江橋
・・・・・・・・・春江橋(はるえばし)は、東岸の江戸川区春江町3丁目と西岸の一之江3丁目を結ぶ、幅員の狭い裏道的な橋である。 昭和35年(1960)、中川放水路(現:新中川)掘削工事に伴い架橋された。 橋長119.0mの単純プレートガーダー桁橋。、、、、、、架橋後50年以上経過し、老朽化も進み架け替えの話もあるようだ。 只今とりあえず、塗装補修工事中である。、、、、、歩道部分は昭和50年(1975)に拡張したものと思われる。

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②第六天宮・・・・・・・春江橋西詰にある第六天宮は、一之江妙覚寺の別院で、慶安元年(1368)に妙覚寺2世日典上人が勧請した社といわれている。、、、、境内は門扉で仕切られた、掃き清められていた。

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③南椿橋/首都高速7号小松川線/新椿橋・・・・・・・・・7・8・9番目の橋梁は、下流側から南椿橋、首都高速7号小松川線、新椿橋と並んでいる。 首都高を挟む形で、区道の東岸方向(春江3丁目)行きは新椿橋、西岸方向(一之江2丁目)へは南椿橋が架かっている。

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・・・・・・・・・・・・南椿橋(みなみつばきばし)、、、、、、、、昭和55年(1980)に、首都高の下流側に架橋された西行き一方通行である。 3径間連続箱桁橋。

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・・・・・・・・・・・・首都高速7号小松川線、、、、、、、、7号小松川線は、墨田区の両国JCTから江戸川区に至り京葉道路に接続する路線である。 昭和46年(1971)に開通した。

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・・・・・・・・・・・・新椿橋(しんつばきばし)、、、、、、、初代の「椿橋」は、昭和35年(1960)に中川放水路掘削工事に合わせ架橋された。 その後、交通量の増加などにより老朽化し、平成9年(1997)に、現在の「新椿橋」に架け替えられた。 橋名もこの時、“新”が冠せられた。 東行き一方通行である。 3径間連続非合成箱桁橋。

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④一之江名主屋敷・・・・・・・・・新椿橋の東詰をチョイと東に行くと、江戸時代に現:春江町の一帯の名主であった田島家の住宅が区によって保存されている。 安永年間(1772~1781)に建てられた主屋と長屋門、明治時代に建てられた蔵が残されているが、本日は茅葺屋根の修理中であり、かつ開門前であったため、中には入らず覗き見をして、『ハイ、さようなら!』。

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⑤一之江橋・・・・・・・・・一之江橋(いちのえばし)は、東岸の春江町3丁目と西岸の一之江1丁目を結び、国道14号(京葉道路)を通す、橋長126.0mの5径間カンチレバープレートガーダー桁橋。 昭和34年(1959)竣工。

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⑥新堀日枝神社・・・・・・・・新中川の土手から見える、江戸川区新堀1丁目にある日枝神社。 正福寺空鏡法印が寛永2年(1625)当地に山王権現を勧請、当地の名主八武崎隼人、仁助らが社殿を建立したといい、旧新堀村の鎮守社であった。、、、、、、昭和55年(1980)、それまでの老朽化した社殿に変わり、鉄筋コンクリート造の社殿に改築された。 この改築では、8千万円以上の費用を投じ、社殿だけでなく境内の諸施設も整備したそうだ。

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⑦大杉橋・・・・・・・・・・東岸の鹿骨1丁目と西岸の大杉4丁目を結ぶ大杉橋(おおすぎばし)。 初代の橋は、昭和36年(1961)に現橋の下流側に架橋された。、、、、、2径間偏心1面吊り斜長橋の現橋は平成6年(1994)に架けられた。 長さは120.0m。、、、、、、昭和の後期から平成の初期は斜張橋が流行した時代だ! 江戸川区も流行に乗ってこの橋を造ったのかな?

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2016年2月 5日 (金)

新中川 (瑞穂大橋~涼風橋)

今日の散歩は、荒川下流の葛西橋に行く予定で家を出たが、、、、、、途中、何を勘違いしたか、日本橋で東西線に乗り換えるのを、東日本橋で新宿線に乗り換えてしまった。、、、、、しかたなく、一之江駅で下車してみたが、どっちへ歩こうかキョロキョロ、ウロウロ、適当に歩き出したが、途中で散歩中の近所のおじさんに捉まり、話し相手にされた。 男の趣味の自慢話から、病気の自慢話と、長々と1時間のロスはイタイ! (ちなみに、病気自慢の話では、私も負けずと応戦し、救急車に乗った回数、手術の回数、通った病院数では勝った! 最後は、おじさんが自宅へ寄っていけと勧めてくれたが、私は丁重に辞して散歩を続行する。)、、、、、急遽、行き先を変更し、新中川の合流点から上流に向かい歩くことにした。 9千歩、7km。




●新中川・・・・・・・埼玉、東京を流れ東京湾に注ぐ、利根川水系の一級河川中川(なかがわ)から、葛飾区高砂付近で分岐し、江戸川区江戸川で東から流れてくる旧江戸川に合流する一級河川。、、、、、昭和40年(1965)、河川名を「新中川」に改称したが、以前は中川放水路と呼ばれていた。 全長7.84km、幅員143.5m。、、、、、、新中川には、最下流の瑞穂大橋から最上流の高砂諏訪橋まで25橋梁が架かる、今日から全橋梁を歩いてみることにした。

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①新中川と旧江戸川の合流点・・・・・・・・江戸川区江戸川4丁目、新中川の最下流に架かる瑞穂大橋から合流点を見る。、、、、、写真左から中央奥へ流れる旧江戸川に合流する手前から流れ下る新中川。

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②瑞穂大橋・・・・・・・・・瑞穂大橋(みずほおおはし)は新中川に架かる最下流の橋、平成23年(2011)に総事業費27億円で架け替えられた。 3径間連続鋼床版桁橋、橋長は163.3m、橋上で緩やかな「くの字」にカーブした形、車道の両側には幅3mの歩道が設けられ、自転車・歩行者が安全に通行できるように設計されている。、、、、、、ちなみに、旧橋は昭和37年(1967)に、現橋の上流側に架けられたが、平成24年(2012)に撤去された。
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③今井水門・・・・・・・・・・・今井水門は瑞穂大橋の上流側に、昭和38年(1963)に設置された、上流を高潮などの影響から遮断する防潮水門である。、、、、、江戸川区・葛飾区・足立区の低地帯を高潮や津波の侵入から守る役割を担っている、都内では最大級の水門である。 幅14.5m、高さ9.46mの鋼製単葉ローラーゲートが7連並ぶ、壮観な姿を見せる水門。
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④新今井橋・・・・・・・・・・・・新今井橋は、江戸川区西瑞江4の東西を結んで架けられている。 橋上は都道50号(新大橋通り)を通す。、、、、、平成9年(1997)に開通した、3径間連続鋼鈑桁、橋長121.5mの橋。、、、、、、新大橋通は新今井橋で新中川を渡り、続いて今井橋で旧江戸川を渡る。
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瑞江大橋・・・・・・・・・瑞江大橋(みずえおおはし)は、江戸川区西瑞江4丁目の東西を結び、橋上は今井街道を通す。 昭和35年(1960)の中川放水路(新中川)掘削工事に伴い架橋された。 単純プレートガーダー桁、橋長158.5m。
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⑥都営新宿線通過地点・・・・・・・・・・瑞江大橋と明和橋のほぼ中間地点に、都営新宿線が新中川を地下で通過している。 その位置を標すピンが土手上に埋め込まれていた。、、、、、、ここから地点の、水面下12m程まで穴を掘ると地下鉄のトンネルを突き破り、地下鉄は水没する運命となる。 くれぐれも、安全のためテロリストには、教えないように!
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⑦明和橋・・・・・・・・・・・下流側から4橋目は、東岸の江戸川区西瑞江3丁目と西岸の一之江3丁目を結ぶ明和橋(めいわばし)。 初代の橋は昭和36年(1961)中川放水路掘削工事に伴い架橋された。、、、、、現在の橋は平成4年(1992)に架け替えられ、4本の塔がシンボリックに目に入るデザインで面白い。 橋は川筋に対し斜めに架けられているが、それでも一之江側の取り付け道路とは急カーブで接続している。、、、、、3径間連続下路式ブレースドレスアーチ橋、橋長は137.0m。、、、、、、只今、橋は塗装工事中。
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⑧涼風橋・・・・・・・・・・・・本日の散歩の最後は、下流から5橋目の涼風橋(すずかぜばし)。 橋は江戸川区春江町3丁目と一之江3丁目を結んでいる。、、、、、、平成18年(2006)の竣工、3径間連続波型鋼板ウェブPC橋、橋長は121.3m。、、、、、、名前の通り、涼しそうなスッキリとしたデザインの橋。 名は区民からの公募で決めたそうだ。
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