墓掃除で腰が痛い
明日は彼岸の中日、今日は朝から涼しい。 我妻と娘二人を伴い、千葉県松戸市の都営八柱霊園に墓参りしてきた。 墓の樹木が大きく成長し前々から気になっていたため、今日は娘にも手伝ってもらい樹木の手入れにもすることにした。 11時から2時まで、たっぷり時間をかけて墓の掃除。、、、、、最後は腰が痛くて、ギブアップ!
● 我が家(浅草橋)から霊園のある北総線松飛台駅までは、都営浅草線・京成押上線・北総線と直通運転する列車で約35分と便利である。、、、、、松飛台駅(まつひだい)は、平成3年(1991)3月31日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。 ホームの北側は松戸市、南側の一部が市川市に掛かる市境界上の駅である。 駅名の「松飛台」とは、現在の八柱霊園の南東側の一部と、霊園の東に隣接する町の町名である。 この町名は、かつてこの辺りに、松戸飛行場(旧陸軍が監督する逓信省中央航空機乗員養成所)があったことから名付けられたそうだ。、、、、、松飛台駅から徒歩5分で八柱霊園の裏門(正確には松飛台門)に到着する。 超便利だ!



● “都営”の施設が千葉県にある? その施設とは「都営八柱霊園」。 なぜ“都営”の霊園が千葉県松戸市にあるかと問えば、答えは、、、、、明治になって、従来、江戸であった域内で埋葬が禁止となった。 そこで埋葬地が定められ、青山、谷中、染井、雑司が谷の墓地が定められたが、大正期には人口増加によって、四ヶ所の埋葬地も余裕が無くなってきた。 そこで、郊外に新しい市営墓地を作ることが計画された。 大正10年(1921)に西に多磨墓地が完成した。 しかし、東の霊園用地を決めるにあたっては、当時東京府内東部には広大な用地が見つからず、千葉県東葛飾郡八柱村の田中新田に霊園用地を求めた。(この時、鎌ケ谷村にも候補地があった) そして昭和10年(1935)に東に八柱霊園が完成した。 東京府は、その後昭和23年(1948)に北の小平霊園も完成した。 東には霊園用地が見つからず、隣の松戸市にその用地を見つけたということだ。、、、、、八柱霊園は広さ105万㎡、23区内最大の青山霊園が26万㎡だからざっと4倍の広さ。 東京ドーム20個分のひろさである。(都営霊園の最大は多磨霊園130万㎡) 広い霊園は当たり前だが、見渡す限り、墓・墓・墓の霊園。 大人でも迷子になって、野垂れ死にしそうだ。

・・・・・・・・・・早速手を合わせたいところだが、まずは以前から気になっていた、墓石の両側に植えられた樹木の手入れを行う。 家族4人で枝の伐採、草むしり、墓石を洗い、小一時間、綺麗・さっぱりした! “Before”、“After”の写真で紹介 

・・・・・・・・・・ 八柱霊園内にもう一つ墓(我が家の親戚の墓)がある。 我が家の墓が東側で、親戚の墓は西側、園内を歩くこと1.5㎞。 墓の前まで来ると墓石が見えない! この夏の暑さで草茫々。 雑草は根を深く広げ、取り除くのに一苦労! こちらも、一時間ほどかけて、さっぱりさせた。 “Before”、“After”で紹介 

・・・・・・・・・・ 八柱霊園には、昭和10年(1935)に建てられた納骨堂がある。(写真右手の平屋部分は昭和47年の増築)、、、、、周囲腰下を人造石、壁面はクリーム色のタイルで仕上げ、入口は花崗岩で組み扉を建てこんでいる。 屋根頂上には仏寺における塔婆のシンボルが掲げられている。 また、同時期の配水塔も残されている。 (2022年4月撮影)



























