京王井の頭線

2019年7月 8日 (月)

井の頭線 (駒場東大前~渋谷)

今年の梅雨は、飽きもせずに連日の雨。 今朝は、ヤットコドッコイ、やっとのことで雨も上がった。 井の頭線沿線の散歩は、本日が最終日となった。 駒場東大前から渋谷まで、途中に神泉駅があるだけの、二駅間(1.4km)であるが見どころは多い。 1万歩。



●東大生の気分で! ・・・・・・・渋谷から井の頭線に乗り、二つ目の駒場東大前駅で下車。 チョイト、東大生になった気分で、学生と一緒に下車し東大口から出ると、二十歳代の学生の中に七十歳代の親爺一人、このギャップに気付き、恥ずかしい!

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●チョイト東大見学!・・・・・・東大口の正面には東大駒場キャンパスの正門が見える。 守衛さんに呼び止められないか? ドキドキしながら堂々と正門を通過。、、、、駒場キャンパス(教養学部)の正門は旧制第一高等学校正門として昭和13年(1938)頃に完成した。 門扉には、柏葉と橄欖(カンラン)を図案化した一高の校章が入れられている。 平成20年(2008)に門扉は復元された。

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・・・・・・・・・・・・・・正門を入ると正面に、国の登録文化財である旧制第一高等学校本館がある。 内田祥三、清水幸重の設計、銭高組の施工により、昭和8年(1933)完成。 現在は教養学部1号館として教室を使用している。、、、、キャンパスの象徴的建物。 私が受験生の頃の蛍雪時代(旺文社の受験雑誌)の表紙に載っていたかも?、、、、教室はゴク普通の教室だ!

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の左側に教養学部900番教室がある。 旧制第一高等学校の講堂で、昭和13年(1938)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス西側の奥に研究者交流と外国人研究者宿泊のための施設がある。 この建物は昭和12年(1937)に完成した旧一高同窓会館。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。 平成16年(2004)に改築されて、現在はフランス料理のレストランもある、駒場ファカルティハウスと称している。

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の右側には教養学部900番教室と対をなすように、東京大学駒場博物館がある。 旧制第一高等学校の書庫・閲覧室で、昭和10年(1935)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は銭高組。、、、、閉まって入れません!

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・・・・・・・・・・・・・・博物館の北側には学教養学部101号館があり、旧制第一高等学校特設高等科の建物であった。 こちらも、内田祥三、清水幸重の設計で、多田工務店の施工により、昭和10年(1935)に完成。

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・・・・・・・・・・・・・・以上は古い建物の紹介。 これらの建物を囲むように、近代的な校舎が並んでいる。 

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●・・・・・・・・・・・・・東大駒場キャンパスの東側の門から出て、井の頭線沿いに神泉駅に向かう。 この辺りは、住宅も密集し学生向けのアパート、マンションがアッチニモ・コッチニモ!

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・・・・・・・・・・・・・・神泉駅に近づくと線路脇から、切通しの先に神泉トンネルが見える。 300m程のトンネルの渋谷寄りには神泉駅がある。 トンネルの上には住宅が建っている。

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●ホームはトンネルの中 ・・・・・・神泉トンネルの渋谷寄りにある神泉駅。 神泉駅は、昭和8年(1933)8月1日の帝都電鉄渋谷~井の頭公園間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線で、そのほとんどがトンネルの中にある珍しい構造である。 かつての神泉駅はホームの長さが3両分しかなく、吉祥寺寄りの2両がはみ出して停車していた。 そこで神泉トンネルを削って5両分に延長する工事が平成7年(1995)に行われた。 現在は、神泉トンネルと渋谷寄りに駅ビルがつくられ、その中に5両分のホームがある。

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・・・・・・・・・・・・・・渋谷へ行く電車は、神泉駅を出るとスグに渋谷トンネル(渋谷隧道)に入り、円山町のラブホテル街、道玄坂の飲み屋街などを地下で抜けて渋谷駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅名の「神泉」は、この辺りの地形が谷間になっており、その谷の名「神泉谷」に由来する。、、、、江戸時代の本『江戸砂子』によると、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」とあって、古くから霊泉として知られていました。 江戸時代から明治20年ころまで、弘法湯として栄え、後の円山を中心とする盛り場の発祥地となりました。、、、、駅近くのコンビニの脇にポツンと立つ神泉湯石碑。 石碑には弘法様らしきが刻まれ、微笑んでいる。 

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●昔も今も、二人の街! ・・・・・渋谷トンネルの上の地には、湯治目的で神泉湯に人が集まり、さらに芸妓さんも住み、湯治場は花街となり、戦後はホテル街と変わってきた。 今でも料亭だった建物が残っている。 知る人ぞ知る「円山町」 円山町から道玄坂を歩き駅へ・・・・一度、夜行ってみたい、楽しそうな街!
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・・・・・・・・・・・・・・その町の中に、長禄元年(1457)に太田道潅が江戸城を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請したことに始まる、千代田稲荷神社がある。 その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長7年(1602)に城内から渋谷宮益に移し、「千代田稲荷」と称した。、、、、知る人ぞ知る、道玄坂のパワースポット。 道玄坂で焼肉食べて、神社でパワーを授かり、いざ、円山町はラブホへ出陣!

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●ゴールした! ・・・・・井の頭線沿線の散歩もいよいよゴール。 誰もが知ってる渋谷駅に到着。、、、、明治18年(1885)に日本鉄道の駅が開業(現:JR渋谷駅)。 明治40年(1907)には玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業し、その後、東京市電(後の東京都電)、玉川電気鉄道天現寺橋線(後の東京都電天現寺橋線)、東京横浜電鉄(現:東急)東横線などが開業。 さらにその後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業した。、、、、いまは、地下鉄銀座線、半蔵門線、副都心線なども開通し、さらに、渋谷駅は大改造中。 何が何だか判らない駅だ!

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2019年7月 3日 (水)

井の頭線 (下北沢~駒場東大前)

雨の上がった午前中に散歩をすべく、朝7時過ぎに家を出た。 行先は井の頭線の下北沢駅、今日はココから歩きはじめ駒場東大前駅まで、1万1千歩の散歩です。




●すし詰めラッシュ ・・・・・井の頭線沿線の散歩、今日は下北沢駅から。 まずは、井の頭線の下北沢駅で下車。

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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺方面から渋谷に出る通勤客にとっては、中央線新宿経由で渋谷に出ると、乗換1回、所要28分、運賃216円。 井の頭線で渋谷に出ると、直行、30分、195円。 自宅・勤務先の事情もあるだろうが、井の頭線の利用に魅力を感じる人も多いはずだ。 それ故に、朝8時の井の頭線下北沢駅ホームに到着する渋谷行の電車は超満員、“乗せて! 押して! 詰め込んで!”のラッシュ。 一方、吉祥寺行は“楽々座れますね!”

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●落ち着かない町! ・・・・・・下北沢の隣り駅:池ノ上駅まではわずか600m。 チョイト、裏道、回り道、寄り道を!

・・・・・・・・・・・・・・地下化された小田急線の地上の旧線路跡。 広い空間が、まだ整備されず・・・

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・・・・・・・・・・・・・・駅周辺には、大きな劇場、小さな劇場、数えたことはないが、自分の知るだけでも10軒以上はある!

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・・・・・・・・・・・・・・踏切を一つ、また一つ、線路の先には池ノ上駅が見える!

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●駅名の由来は単純! ・・・・・下北沢駅から600m、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した池ノ上駅。 駅名は“いけのうえ”と読む。 ノーなしは東急池上線の池上駅、間違えないで! 島式ホーム1面2線の地上駅で橋上駅舎を持つ。、、、、かつて駅の南方に細長い池があり、それから駅周辺の高台を「池の上」と呼ぶようになる。 その地名から駅名を「池ノ上」としたそうだ。
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●研究の成果を見たい! ・・・・・・池ノ上駅の西側、目黒区駒場に東大駒場リサーチキャンパスがある。 ここは、元々は駒場農学校(東大農学部の前身)の敷地だった。 関東大震災後は東大の工学部系の研究施設がつくられる。 現在は、先端科学技術研究センター、生産技術研究所、国際産学共同研究センターがつくられ、先端工学系の研究施設が集まるキャンパスとなっている。、、、、“駒場”の東大と言えば、誰もが東大教養学部の駒場キャンパスを思いだすが、そのキャンパスは「駒場東大前駅」の北側に広がっている。 ここは、教養学部のキャンパスとは駒場公園を挟んで西側にあるキャンパス。 東大でも一般にあまり知られていない、超最先端の研究をしている施設である。 セキュリティがシッカリしているので、内緒で機密情報をパクることは出来ません!、、、、文化財級の建物を除いて、研究室などがある近代的な建物は、京都駅を設計した原広司の設計である。、、、、

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 ・・・・・・・・・・・・・・最先端の研究をする施設群の中で、キャンパスの中央にシンボル的にたつのは「先端科学技術研究センター13号館」。 旧航空研究所本館で、登録有形文化財。 昭和4年(1929)完成。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は大倉土木(現:大成建設)。、、、、現在は、事務室と教室として使用されているようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・13号館の真後ろたつ14号館。

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・・・・・・・・・・・・・・正門から入ると、13号館の右にたつ「試作工場」は、旧東京帝国大学航空研究所中央工場第1号館として昭和4年(1929)に建てられた。 鉄筋コンクリート造2階建て。 設計は内田祥三と清水幸重ほか、施工は大倉土木(現:大成建設)。

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・・・・・・・・・・・・・・13号館の左には、「旧:東京帝国大学航空研究所風洞部研究室」であった1号館がある。 設計:内田祥三、清水幸重など、施工は竹中工務店。
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●東西駒場駅の合作! ・・・・・・「駒場東大前駅」は、昭和40年(1965)7月11日に「駒場駅」と「東大前駅」を統合して開業した。 井の頭線で唯一戦後に開業した駅で、最も新しい駅である。 現:駒場東大前駅より吉祥寺寄りに駒場駅が、渋谷寄りに東大前駅があった。 両駅がその中間点に移動し、統合したものだ。

・・・・・・・・・・・・・・まず「駒場駅」について、、、、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の「西駒場駅」として開業。 昭和12年(1937)に「駒場駅」に改称した。、、、、駒場駅は現:駒場小学校の前辺りにあった。 (写真1枚目の中央)上り側:京王電鉄の保線詰所のような小さい建物が建っている処。  (写真2枚目の中央)下り側:ホームのようなコンクリート構造物がある処。

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・・・・・・・・・・・・・・「東大前駅」について、、、、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の東駒場駅が開業。 昭和10年(1935)には「一高前駅」に改称し、昭和26年(1951)に「東大前駅」に改称した。、、、、次の写真では、現駒場東大前駅の渋谷寄り東口階段を下り20m程渋谷側に寄ったあたりに、写真左端の看板がある処。 この付近ではコンクリートの中に鉄骨の一部が埋められたものを2m程の間隔に見ることができる。 当時の駅に関係する構造物の一部か?

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・・・・・・・・・・・・・・現在の駒場東大前駅は、島式ホーム1面2線の構造。 傾斜地にあるため、吉祥寺寄りは高架ホーム、渋谷寄りは通常の地平ホームとなっている。 改札口は、吉祥寺寄りホーム階下の西口と渋谷寄りの路盤上にある東口・東大口の2か所がある。

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2019年6月28日 (金)

井の頭線 (明大前~下北沢)

台風3号の影響で、今朝6時、東京は曇天である。 台風は小型で、しかも東京には立ち寄りそうもない。 台風一過の晴天を期待して、井の頭線沿線の散歩に出た。 明大前駅から下北沢駅まで、駅間距離はわずか1.9km、途中2駅である。 1万1千歩の散歩です。




●明大前は学生の町 ・・・・・・明大前駅で下車するのは明治大学の学生だけでなく、日大鶴が丘高校、二階堂高校、日本学園高校など高校生も多く、まさに学生の町だ。

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・・・・・・・・・・・・・・井の頭線と交差する京王線では、笹塚駅から仙川駅間付近にかけて、道路と鉄道との連続立体交差事業が着工されている。 この事業は、笹塚駅~仙川駅間約7.2kmの区間を高架化することで、25箇所の踏切を除却するとともに7箇所の都市計画道路を立体化し、あわせて側道を整備するものである。 これに伴い、代田橋駅・明大前駅~千歳烏山駅は高架駅となる。 明大前駅では、地下1階の掘割りを走る井の頭線については高架化工事の対象ではないそうだ。、、、、明大前駅部の工事は大成建設+竹中土木により始まった。 駅周辺では工事用地のも確保されている。

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・・・・・・・・・・・・・・駅名になった明治大学和泉(いずみ)キャンパス。 ここ和泉キャンパスは文系学部の教養課程で使用している。、、、、なみに、私の母校も明治大学だが、工学部なので、4年間、川崎市の生田キャンパスに通った。 残念ながら、こちらのキャンパスで学んだことはない。 (写真は2日前に撮影)

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●チョイト、松原2丁目をブラブラ ・・・・・・明大前駅の南側に広がる世田谷区松原2丁目の町を拝見!

・・・・・・・・・・・・・・京王線沿いに高井戸方向へ歩くと、カトリック松原教会があった。 聖堂は昭和40年(1965)に建てられたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・教会の西側、アパートらしき建物(松原2-16付近)の角にあった石柱。 「靏美ヶ丘」か、「鶴美ヶ丘」か、これは何だ?・・・ 最初の文字は、雨冠に鶴で“靏”、「カク」、「つる」と読むらしい。 地名か? 「鶴美ヶ丘」と云う地名は神奈川県秦野市鶴巻南に存在していたが、ここからは遠すぎる! サッパリ・判らん!
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・・・・・・・・・・・・・・菅原神社(松原3)は、寛文5年(1665)に寺子屋を開いていた石井兵助直慶が建立したと考えられている。 松原地域の鎮守社として崇敬を集め、明治期には村社に列格していた。 現社殿は昭和40年(1965)に落成した。、、、、住宅地の中に、落ち着いた神社。
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・・・・・・・・・・・・・・松原2丁目の日本学園中学・高等学校の正門奥に1号館の建物が見える。 この建物は、卒業生である建築家:早稲田大教授:今井兼次の設計による昭和初期の建築で、国の登録有形文化財に指定されている。、、、、日本学園は、明治18年(1885)に神田錦町に創立。 昭和11年(1936)に現在の世田谷区松原に移転。 卒業生には、吉田茂、佐々木信綱、横山大観、永井荷風など、著名人、大物がズラリ! ドリフの荒井注も・・・

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・・・・・・・・・・・・・・井の頭線の線路脇を歩く。

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●窮屈な駅 ・・・・・・東松原駅は、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅、改札はホーム中間の橋上にある。 改札からは、駅西側(吉祥寺方)と東側(渋谷方)の出入口につながる。、、、、狭い構内に無理して造った駅を実感できる!

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●隣の駅まで500m ・・・・・・・・・・・・・東松原駅と次の新代田駅までの距離は500m、隣り駅が見えるようで見えない!

・・・・・・・・・・・・・・線路沿いを歩く。 『この先行止まり・・・』の案内が、わざわざ私道持主が、、、、坂道を上がるとナットク! 道路の中央に大木(羽根木1)が、コリャ、自動車は無理だ!、、、、自然保護?

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・・・・・・・・・・・・・・羽根木1丁目にステキなデザイナーズマンションが並ぶ一画がある。 和風の「亀甲新」とモダンな「羽根木インターナショナルガーデンハウス

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●代田、代田、代田! ・・・・・・・・・・・・・世田谷区の東を南北に走る環七通り、その通り沿いに北から、京王線の代田橋駅、井の頭線の新代田駅、小田急線の世田谷代田駅と、“代田”が紛らわしく並んでいる。、、、、井の頭線の新代田駅は、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の「代田二丁目駅」として開業。 昭和41年(1966)に「新代田駅」に改称。 ホームは掘割内にあり、駅の上に環七通りが通っているため、ホームの一部は道路下にある。 改札口は橋上駅舎として環七通りに面している。 相対式ホーム2面2線の地上駅。

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●幻となった廃線跡! ・・・・・・・井の頭線新代田駅と小田急線世田谷代田駅の間には、戦争中から戦後にかけて連絡線(代田連絡線)が引かれていた。 これは、空襲により井の頭線の電車がほとんど消失したために、急遽小田急線から電車を運び込むために用意されたものである。そのため、撤去後もしばらくの間は渡り線が放置されていたが、その後は宅地造成が進んだ。、、、、廃線跡と思われる付近を歩いてみたが、住宅が建ち並び、それらしき痕跡を発見することはできなかった! 
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●西口は地上、中央口は高架下の駅 ・・・・・井の頭線下北沢駅も、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した。 小田急線は昭和2年(1927)に開業しており、6年遅れての開業である。 井の頭線と小田急線は当駅で立体交差し、京王が高架駅、小田急が地下駅(以前は地上駅)となっている。、、、、井の頭線は島式ホーム1面2線を有する高架駅。 吉祥寺寄りのホームの端は地表と同じ高さで、ホームのすぐ脇に踏切がある。 踏切りの近くには西口がある。

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2019年6月26日 (水)

井の頭線 (浜田山~明大前)

井の頭線沿いの散歩も三日目。 今日は浜田山駅から明大前駅まで歩いてきた。 途中大圓寺に寄り道し、1万4千歩の散歩です。




●乗客の質が違うのか? ・・・・・・浜田山駅の出入口は一か所のみ。 電車が到着すると、通勤・通学客で混雑する。 乗る人、降りる人、どちらも、私の住む浅草橋駅(台東区)とはチョイト違うようだ、気のせいか、上品な人が多いように感じる。 “おばちゃん”、“おじちゃん”と呼ぶような人が少ないね!

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●山を見に行く! ・・・・・・地名「浜田山」なる“山”はどこだ?、、、、探してみましたが“山”らしき所はありません。 答えは、江戸時代、内藤新宿の商人:浜田屋が所有する林が近く(現:杉並区浜田山4付近)にあった。 この林の中には、浜田屋の墓地もあり、彼岸の時期などには浜田屋の人が墓参に詣で、その折には村人に銭・菓子が配られ賑わったそうだ。 そこで、村人はこの林を「浜田屋の山」と呼び、「浜田山」となった。 “林”を“山”と呼んだのだ。、、、、現在は林もなく、墓は永福にある理性寺の境内に移された。 
・・・・・・・・・・・・・・浜田山駅から、駅前の商店街、鎌倉街道のホンの一部を歩き、井の頭通りに出る。 浜田山4丁目、井の頭通りに面し「杉並南郵便局」がある。 この郵便局の付近に浜田屋の林があったと云われている。  

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・・・・・・・・・・・・・・井の頭通りから、井の頭線沿いの道に戻り、隣り駅「西永福」に向かう。 線路脇のアジサイは、そろそろ色も茶色に変わり、今年はお終い。

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●モダンな駅だ! ・・・・・・西永福駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、平成20年(2008)に橋上駅舎化工事も完了し、小さいながらも、ユニバーサルデザインによるモダンな駅となった。  

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●隣り駅まで700m ・・・・・・・・西永福駅から隣の永福町駅までは700mしか離れていない。 西永福駅から線路沿いに駐輪場があるが、いずれいつの日か永福町駅まで繋がりそうだ! 駐輪場が切れると、かつての永福町検車区跡が見える。 検車区は昭和41年(1966)に廃止となり、現在は京王バスの営業所として利用されている。

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●またまたモダンな駅 ・・・・・・永福町駅も昭和8年(1933)8月1日の開業。 島式ホーム2面4線の地上駅。 平成22年(2010)より、それまでの地下駅舎に代わって橋上駅舎の供用を開始し、駅ビルも出来、これまたモダンな駅に変身した。、、、、エスカレーターのない総武線浅草橋駅を日々利用する私にとっては、エスカレーターのある駅は羨ましいかぎり。 年寄りには階段はキツイ!、、、、永福町という名の由来は、永福町駅の南400mにある、大永2年(1522)開創の古刹曹洞宗永福寺による。 

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●葵と丸に十 ・・・・・・永福町駅から北へ歩き、杉並区和泉3の薩摩島津家の江戸菩提寺:大圓寺(だいえんじ)に寄った。、、、、曹洞宗寺院の大圓寺は、泉谷山と号し、本尊は釈迦如来坐像。 大圓寺は、慶長8年(1603)江戸赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって創建した。 寛永18年(1641)伊皿子(港区三田高輪辺)へ移転。 島津家の江戸菩提寺となり、明治維新後、寺院の発展を計り明治41年(1908)当地へ移転した。、、、、山門には葵の紋、本堂には葵の紋と丸に十の字。 ナットク!、、、、大きな寺ではないが、閑静な趣きのある寺である。 墓地には西郷隆盛の娘の墓もあるそうだが、どれもこれも古い墓で、どれがどれやら、サッパリ判らん!

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、石像の仁王尊や寛永2年(1625)芝浦の海中から出現したといわれる潮見地蔵尊石像、また島津家の宝篋印塔・六地蔵尊があり、墓地には益満休之助他75名が刻されている「明治元年戊辰の役戦死者の墓」などがある。

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●2社1寺 ・・・・・・大圓寺から井の頭線に戻るついでに、和泉3丁目の2社1寺も訪ねてみた。

・・・・・・・・・・・・・・和泉熊野神社は、文永4年(1267)の創建と伝えられ、江戸期には別当龍光寺で和泉村の鎮守。

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・・・・・・・・・・・・・・和泉貴船神社は、和泉熊野神社の境外末社。 和泉貴船神社は、文永年間(1264~1275)に創建されたと伝えられている。 当社境内にある”御手洗の小池”はいかなる時でも涸れることがなかった湧水で、地名和泉の発祥地と云われている。

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・・・・・・・・・・・・・・真言宗室生寺派寺院の龍光寺は、泉涌山医王院と号す。 龍光寺は承安2年(1172)開創。 もと和泉熊野神社・貴船神社の別当であった。、、、、住宅街のなかに佇む、緑豊かな寺。 紅葉の時期には、綺麗な境内を見ることができるそうだ。 人も少なそうなので穴場かも?

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●・・・・・・・・・・・・・・井の頭線は、明治大学和泉キャンパス脇の切通しを走り、甲州街道の下を抜けて、明大前駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・明治大学の正門前を玉川上水が流れ、井の頭線はその下を抜ける。 そのため、江戸時代に造られた玉川上水を導水管で流し、人道橋も併設した「井の頭線玉川上水橋」が造られた。 ここには4本の線路が敷設できるように設計されていたが、2本は未使用のままだ。 この未使用の部分が、幻の鉄道である「東京山手急行電鉄」の遺構である。

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●チョイト狭いね! ・・・・・・明大前駅は、京王線、井の頭線の接続駅で、両線は当駅で立体交差している。 京王線・井の頭線ともに相対式ホーム2面2線を有し、2階が京王線ホーム、1階が改札口、地下1階が井の頭線ホームの3層構造である。、、、、明大前駅は、大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道(現:京王線)の火薬庫前駅として開業した。 その後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄(現:井の頭線)の西松原駅として開業。 昭和10年(1935)には明大前駅に改称した。、、、、乗降客の増加で、駅全体に手狭感がある。

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2019年6月21日 (金)

井の頭線 (久我山~浜田山)

京王井の頭線沿線の散歩。 一昨日の吉祥寺駅~久我山駅間に続き、今日は久我山駅~浜田山駅まで、4駅間2.7kmを歩いてきた。 1万1千歩




●今日も来ました久我山駅へ ・・・・・朝、久我山駅に降り立ち、“久我山”とは何処だ? チョイト考えたが、よそ者には判らない。 そこで、調べてみた。、、、、「くが」とは空閑地や陸地のことらしく、古くからの地名で、武蔵野の新開地を指す言葉らしい。 江戸時代から明治22年(1889)までは、江戸幕府領久我山村であった。 文化文政時代は64戸、水利は玉川上水、鎮守神は久我山稲荷神社ということらしい。 新開地として村には「農業を営もうとする者は重罪人でも許す」旨の高札が立ててあったとか(?)。

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・・・・・・・・・・・・・・久我山駅では、夏に向け新兵器の試験が行われていた。 水タンクを乗せた台車の上に扇風機を置いて、ミストを発生する新兵器だ? ケッコウ、涼しいね!

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●川と電車に挟まれた遊歩道 ・・・・・久我山駅から隣りの富士見ヶ丘駅の間は、線路の南側に神田川が流れ、線路と川の間には富士見ヶ丘検車区が広がっている。 検車区は150両程の井の頭線全車両を留置する広さがある。、、、、遊歩道の右手には、神田川の清流が流れ、鯉も、水鳥も、見られる。 左手は長いフェンスに囲まれ検車区が続く。 検車区全体を見渡す写真を撮りたいのだが構内には入れず、あきらめた!

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●富士山が見えた駅! ・・・・・昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の富士見ヶ丘駅として開業。 その名のごとく、開業当時は富士山が拝めた駅だったであろう。 現在、駅の所在地は杉並区久我山であり、駅周辺には「富士見ヶ丘」の地名は無い。 ただし、駅の南側に富士見丘小学校と富士見丘中学校などがある。

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●緑豊かな最新の老人ホーム ・・・・・富士見ヶ丘駅の南東(杉並区高井戸西1)にある、高齢者の福祉施設「浴風会」に寄ってみた。、、、、浴風会は、関東大震災のために自活することができなくなった老廃疾者及び扶養者を失った人々の救護を行うため、御下賜金及び一般義捐金を設立資金として、大正14年(1925)に内務大臣の許可を受けて財団法人として設立された。 初代会長は若槻禮次郎である。 当時の内務省によって、90,750㎡のこの地に、本館・入居棟・付属建物合わせて54棟の建物、建坪8,415㎡の施設を設置したのが始まりだ。 浴風会の事業は、養老事業の模範として、また老年医学の発祥として、創立後暫くの間は順調に事業遂行をしたが、第二次世界大戦によって施設建物の大半が軍に接収され、また運営資金も凍結されて、事業は不振を極めた。 終戦に伴い事業施設は、昭和21年(1946)の生活保護法による保護施設として再生復興することとなった。 さらに昭和38年(1963)老人福祉法の施行に伴い、同法による老人福祉施設として事業が運営され、平成12年(2000)の介護保険法の施行を経て今日に至っている。 現在は高齢者医療を専門とする浴風会病院を始め、養護老人ホーム、軽費老人ホーム、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、デイサービス、居宅介護支援事業所、地域包括支援センター等の施設・在宅サービスを運営している。 また、認知症介護研究・研修東京センターや浴風会ケアスクールなどの施設も備わっている。、、、、現在の浴風会施設の大半は平成に入ってから新築されたもので、殆どの建物は緑豊かな木々に囲まれて近代的で大きな建物である。、、、、私もそろそろヨイヨイの生活を考える歳だが、こちらのような環境にある老人ホームに入ることが出来れば素晴らしいかも・・・

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・・・・・・・・・・・・・・新しい建物に囲まれるように、「浴風会本館」と「礼拝堂」が敷地の中央にある。 「浴風会本館」は、東京大学の内田祥三らにより設計されたもので、大正15年(1926)に竣工した。 中央に塔を配置し、垂直線が強調された姿は、内田祥三が手がけた東京大学安田講堂と共通するものだ。

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・・・・・・・・・・・・・・本館とは中庭を挟み南側に、昭和2年(1927)竣工の「礼拝堂」が建っている。 阿弥陀如来を祀った祭壇がある仏教の礼拝堂で、毎週水曜日に法要が行われているそうだ。 今日は施錠されて内部を拝見することはできなかった。 設計者は不明。
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・・・・・・・・・・・・・・再び井の頭線の線路沿いを歩き、高井戸駅に向かう。

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●高いところにある駅 ・・・・・高井戸駅も、昭和8年(1933)8月1日 に開業した。 当時は築堤上の駅だったが、現在は、井の頭線では数少ない高架駅となっている。、、、、高井戸の由来については、①高いところに井戸があった、②高いお堂があった、と2説あるそうだ。 どっちも、どっちと云う感じ、どっちでもいいか!

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●閑静な住宅街を抜ける ・・・・・・・・・・・・・・高井戸駅から隣の浜田山駅までは、神田川沿い、閑静な住宅街を歩き駅に向かう。 線路わきのアジサイも見事だ。

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●地下からホームに上る駅 ・・・・・浜田山駅は、これまでの駅と同様に、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した。 平成8年(1996)には、ホームの延伸と駅舎の地下化を行う。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、駅前は落ち着いた商店街となっている。 私もチョイト買い物に参加し、駅前の花屋さんで小ぶりの観葉植物を買ってきた。(安かったのでついつい3鉢購入)

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2019年6月19日 (水)

井の頭線 (吉祥寺~久我山)

久しぶりに京王井の頭線沿線を歩いてみることとした。 まず今日は、京王吉祥寺駅から久我山まで、4駅(駅間距離2.5km)を歩いた。 1万歩。

・・・・・・・・・・・・・渋谷(起点)と吉祥寺(終点)を結び、途中小田急小田原線・京王線と接続し、武蔵野台地を走り抜ける京王井の頭線。 吉祥寺からはほぼ下り勾配で渋谷までの全線距離は12.7km、駅数は17。 井の頭線の歴史は、チョイトややっこしく、昭和8年(1933)に帝都電鉄が渋谷~井の頭公園間を開通した。 翌昭和9年(1934)、井の頭公園~吉祥寺間を開通する。 昭和15年(1940)に帝都電鉄は小田原急行電鉄と合併し、現:井の頭線は同社の帝都線となる。 昭和17年(1942)には、小田原急行電鉄が東京横浜電鉄に合併され、東京急行電鉄(大東急)の路線となり、帝都線を井の頭線と改称。 昭和23年(1948)、東京急行電鉄の再編成により、井の頭線は京王帝都電鉄の所有路線となる。 つまり井の頭線は、帝都電鉄で生まれ、小田急・東急と契り、戦後になり、京王と再婚し落ち着いた。、、、、現在運転されている車両は、9種のパステル系の色でカラーリングされている。「次に来る電車の色は?」と、楽しめる!



●出発は吉祥寺駅 ・・・・・・JR吉祥寺駅は明治32年(1899)の開業であるが、井の頭線の吉祥寺駅は35年後の昭和9年(1934)4月1日である。 5両編成の電車が停まる、頭端式ホーム2面2線を有する高架駅。 一日約15万人が乗降し、京王電鉄の駅の中では新宿駅、渋谷駅に次いで3番目に多いそうだ。

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●吉祥寺駅を後にして ・・・・井の頭線の踏切を越えると、3回の掻い掘りで水質が綺麗になった井の頭池(井の頭公園)に出る。 この池は神田川の源流で、流れ下る水は、我が家(浅草橋)の近くに架かる柳橋で隅田川に合流する。 写真の石橋は神田川最上流に架かる「水門橋」。
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・・・・・・・・・・・・・・水門橋から100m程下流で、井の頭線は橋梁を渡り神田川を越える。 この橋梁には、「竹内清鉄工所製作 昭和七年拾月」のプレートがある。 井の頭公園~吉祥寺間の開通は昭和9年であり、この橋梁は開通時からのものだ!

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●井の頭公園駅に到着 ・・・・・・・・・・・・・・井の頭線開通時の昭和8年(1933)8月1日に同時開業した井の頭公園駅。 開通時は井の頭線の終着駅である。 翌年開業した隣の吉祥寺駅との距離は600m程しか離れていない。、、、、開業時の駅名は「井之頭公園駅」で、戦後になって「井ノ頭公園駅」→「井の頭公園駅」と変わった。

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●神田川に沿って走る! ・・・・・・・・・・・・・・・井の頭公園駅から次の三鷹台駅まで、電車は神田川沿いに走る。 沿線にはアジサイが咲き、絵になる風景だ!

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台駅の手前に立教女学院のキャンパスが見える。 ここでは、小・中・高の女学生が学んでいる。 学校は立教大学と姉妹校の関係にあり、大学へは推薦入学もあるそうだ。 卒業生には、野際陽子、鮎川いずみ、松任谷由実など美人・才女がいる。、、、、私は、昭和7年竣工の礼拝堂などの校舎が見たかった。 男子禁制、助平親爺は絶対ダメ、校門前で怖そうな警備員が睨んでいる、まだ命が惜しいので、今日はパスする。
 
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●見たか、三鷹台駅 ・・・・・・・・・・三鷹台駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 駅と駅の南側は三鷹市であるが、駅の北側は杉並区。、、、、【極秘情報】三鷹市には“三鷹”とつく地名は無い。 この駅が、なぜ“三鷹台”となったか、不明?

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●杉並区に入る! ・・・・・三鷹台駅の東端で井の頭線は再び神田川を越える。 この先は杉並区。

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台~久我山間は切通しとなっている。 跨線橋の一つで、右親柱に「ぎんざうばし」と書かれた「銀蔵橋」がある。 左の親柱には「昭和八秊七月造」と書かれているので、井の頭線開通時に架けられた橋だ。、、、、昭和の初め井の頭線の開通に向け、切通しとなった線路の南側の畑へ行けなくなる「秦銀蔵さん」のために、当時の帝都電鉄が建設したもの。 橋は古レールで造られており、現在は重量制限(2t以上通行不可)がある。、、、、今では畑は探しても見つからない!

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・・・・・・・・・・・・・・久我山駅の手前300m程西側に、中規模の久我山稲荷神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、古くから久ヶ山村の鎮守社だったと云われており、明治40年には字北原の天祖神社を合祀、昭和16年村社に列格した。、、、、境内に元禄16年(1703)の庚申塔がある。 保存状態良好!

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●久我山駅到着! ・・・・・・・・・久我山駅も昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業する。 現在は、島式ホーム1面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎の構造をもつ。 急行の停車駅。、、、、今日の散歩はココまで!

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