蕎麦と寺と公園
三密を避け、他県への移動を避け、今日は夫婦で調布の深大寺と隣の神代植物公園に行ってきた。 初夏の陽気と、マスク着用で、暑い・暑い!
●腹ごしらえ! ・・・・・・・京王線調布駅からバスで深大寺へ、バスを降りると丁度12時、『腹が減っては参拝できぬ』、まずは腹ごしらえから。 名物深大寺そばを食べることにして、参道の店へはいる。 平日にコロナ禍が重なり店は空き空き、並ぶことなく『いらっしゃ~~い』。、、、、なぜ、深大寺そばが名物になったのか? その、歴史については諸説あるそうだが、その一つに、江戸時代、近隣農家から深大寺に納められたそば粉を使い、深大寺寺坊で打ったそば切りが、来山者に評判となったことが始まりといわれている。 その後、三代将軍徳川家光が鷹狩の途中立ち寄った際、食したそばの味が絶品であったため、将軍自らも周囲に推奨したという話もある。 もともと深大寺周辺の土地はそば栽培に適し、更に豊富な湧水をそばのさらし水として用いるなど、そば作りに最も適していたそうだ。、、、、昭和36年(1961)神代植物園が開園すると、来山者も増え深大寺そばも全国的に有名となる。 現在は、門前に20軒以上のそば屋さんが軒を連ね、賑わっている。 さすが参道にはそば屋が多く、ここでラーメン屋・うどん屋を開業する勇気ある者は居ないようだ。
●癒しの森! ・・・・・・緑深い武蔵野の面影を残す森に、天台宗の寺院:深大寺はある。
・・・・・・・・・・・・山門をくぐると、正面に本堂がある。、、、、天台宗寺院の深大寺は、浮岳山昌楽院と号す。 深大寺は、満功上人が天平5年(733)に堂宇を建立、750年に深沙大王像を安置して創建した。 その後武蔵国司蔵宗の乱降伏祈念に際して朝廷の命を受けた比叡山の恵亮和尚が、道場として天台宗に改め、991年には元三慈恵大師が自刻像を当寺にうつしたといいます。 江戸時代には寺領50石の御朱印状を拝領、現在は天台宗の別格本山。、、、、江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、再建した庫裡に安置されていたが、大正8年(1920)に今の本堂が完成した。 南向きの本堂は、江戸期の作風をもち、深大寺の扇額を掲げている。堂内に本尊および金銅製の釈迦如来倚像が安置されている。 この釈迦如来像が国宝白鳳仏で、関東地方所在の仏像中最古のものと云われている。(残念ながら、私は拝見したことがない)
・・・・・・・・・・・・山門を入り右側に鐘楼がある、、、、鐘楼の前には、江戸時代に再建された茅葺き屋根の庫裏もある。
・・・・・・・・・・・・本堂裏手の一段高い処に、元三大大師堂がある。、、、、この堂は山門についで古いもので、慶応3年(1867)の建立、大師の自刻像と、天平勝宝7年(755)に満功上人がつくったと伝えられる秘仏、深沙大王像が安置されている。 茅葺きの建物で、廊下の天井に、河鍋暁斎の描いた竜が雄渾な筆跡を残している。暁斎が描いた壁画の中でも傑作といわれているものである。
・・・・・・・・・・・・元三大大師堂の脇から少々上ると、昭和58年(1983)に建てられた開山堂がある。、、、、堂の多い寺は、個別に賽銭をあげて来ると、小銭がスグ無くなり、紙幣(特に万札)ではお釣りを貰えないし、悩む! そこで提案、各堂の前に両替機を置いて欲しいね!(グッド・アイデア)
●花も暑そうだ! ・・・・・・・深大寺の裏山に神代植物公園があり、寺からは地続きで入園できる、、、、、公園は戦前から計画され、戦後の昭和36年(1961)に開園した。 都内唯一として開園した植物公園。 ばら園・さくら園・うめ園・・・など、植物ごとに〇〇園があるが、ばら園は広く多種が咲き誇り圧巻!、、、、大温室は窓を開け換気されているが、サウナ状態で暑い・暑い・アッチッチ!
●良い運動だった! ・・・・・・・・・神代植物公園から、バスで三鷹駅に出て帰宅。、、、、お寺・公園内を歩き、約1万1千歩の散歩。