群馬県

2023年3月 1日 (水)

上信電鉄

天気に恵まれた3月初日、世界遺産の富岡製糸場を妻と見てきた。 高崎~富岡~下仁田間を走る上信電鉄の全線乗車と、下仁田の町をチョイトブラブラも併せて実行。




● 午前9時過ぎ、高崎駅に到着、新幹線改札から西口へ出て、上信電鉄の高崎駅へ向かう。 上信電鉄の「高崎駅」は、JRの在来線地上ホームがズラリと並ぶ1番線の隣りに0番線として頭端式の上信電鉄専用のホームと改札がある。 チョイト細長い、懐かしい硬券の『一日フリー乗車券』を購入し、発射直前の700形電車(2両編成)に乗り、目指すは上州富岡駅へ。

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・・・・・・・・・・ 発車して車内を見渡すと、乗客は2両合わせて10数人。 これじゃ~、儲からないよな~!

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・・・・・・・・・・ 上州福島駅では、錆が浮き出た貨車を見て、チョイト悲しいね!

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・・・・・・・・・・ 高崎から約40分、世界遺産でモダンに改築した「上州富岡駅」に到着。 降りたのは私達夫婦と他一人、三人だ! 駅前にはコンビニ無し、観光案内する人もいない、世界遺産で観光客も多いと予想していた私にはチョイト信じられない光景!、、、、上州富岡駅は、明治30年(1897)7月2日、富岡駅として開業、大正10年(1921)に駅名を上州富岡駅に改称。、、、、現在の駅舎は、富岡製糸場が世界遺産に登録された、2014年に完成。 駅舎は富岡製糸場をイメージして煉瓦を多用するデザインとなっている。 建築作品として、2014年度グッドデザイン賞、2015年度日本建築学会賞、第56回BCS賞特別賞などを受賞している。

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● 富岡の町をブラブラ


・・・・・・・・・・ 駅の斜め前に群馬県立世界遺産センター「セカイト」がある、、、、歴史的な倉庫群を再利用・再開発した世界遺産のPRセンターと思われる。 お客は私達ともう一組だけ!

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・・・・・・・・・・ 上州富岡駅から富岡製糸場への道筋に「諏訪神社」がある。 神社の創建は不詳だが、江戸時代まで歴史は遡れるそうだ。 

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・・・・・・・・・・ 行きかう人・車も見えない富岡の中心街。 世界遺産があるのだから外人を含め観光客が多いと思ったが、やたらめったら静かであった。

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・・・・・・・・・・ チョイト裏通りへ、富岡の花街「三町通り」 この横丁は幅1.6mの狭い道であるが立派な県道である。 左右には芸者も出入りする料亭などがあったそうだ。 かつての華やかなりし頃を想像して歩くと、『昔は良かった!!』

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・・・・・・・・・・ 富岡製糸場の手前にある、近代日本の黎明期に操業した民間の機械製糸場「旧韮塚製糸場」、、、、この建物は、保存・改修により当時の面影に甦ったそうだ。 明治初期からは富岡製糸場を模範として全国で20ヶ所以上の製糸場が建設されたそうで、こちらはその一つ。 

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● 本日の目的地、世界遺産の「富岡製糸場」、、、、富岡製糸場は日本初の本格的な機械製糸の工場である。 明治5年(1872)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存する工場跡として、日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献したことを物語っている。、、、、富岡製糸場は昭和62年(1987)操業を停止した後、平成17年(2005)に敷地が国の史跡に、そして翌年平成18年(2006)には創業当初期の建造物が国の重要文化財に指定された。 重要文化財のうち繰糸所、東置繭所、西置繭所の3棟は平成26年(2014)に国宝となった。 現在は富岡市が所有。、、、、施設の関係者の数より、来場者のほうが少ないと思われる程、閑散とした中で、のんびり、ゆっくり、見学できた! ちなみに、3月1日の来場者数は279人だったそうだ(公式HPによる) 世界遺産登録時の熱は冷めたね!

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● 上州富岡駅から再び上信電鉄に乗り終点の「下仁田駅」へ向かう。 

・・・・・・・・・・ 500形電車で上州富岡駅を出発!

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・・・・・・・・・・ 明治30年(1897)9月8日開業の「下仁田駅」は、頭端式ホーム1面2線の地上駅。 駅構内は、貨物営業を行っていたころの名残で比較的広く、側線が4本ある。 一日の乗車人員は250名程である。、、、、『100年の歴史を誇り、妙義山、荒船山の登山客に親しまれる上信電鉄終着駅』として関東の駅百選に選定されてる。

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● 下仁田駅から西へ諏訪神社まで、下仁田の町をブラブラ


・・・・・・・・・・ 駅前から見える老舗の割烹旅館「常盤館」は、下仁田ネギのすき焼き、しゃぶしゃぶやこんにゃく尽くしの食事を味わえるそうだ。 画家の竹久夢二も泊まったことがあるらしい。、、、、妻曰く『帰りに下仁田ねぎ食べて帰ろうか』 私『なに! 下ネタねぎを食べるのか?』 妻『あなた、耳が悪いね!』 私『おまえ、発音が悪い!』

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・・・・・・・・・・ 常盤館の脇から諏訪神社へ向かう「中央通り」は、下仁田の飲食店街。 ところどころにかつての花街の名残りが見られる。 かつては鉱山の工夫や工女などの娯楽の場として賑わっていたらしい。

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● 中央通りを抜けると正面に「諏訪神社」が鎮座している。、、、、諏訪神社の創建は戦国時代、武田信玄が信州諏訪大社の分霊を勧請したのが始まりと言われてる。 江戸時代には、幕府から朱印地として6石が安堵され、享和2年(1802)には嵯峨御所から挑灯と絹幕が寄進されている。、、、、現在の諏訪神社社殿は江戸時代後期の天保8年(1837)に再建されたもので、建物全体にみごとな彫刻が施されている。

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● 駅に戻って、帰路に就く。

2022年9月25日 (日)

桐生の建物

朝食時の天気予報では台風一過の青空となりそうだ。 妻に『川越、栃木、桐生のいずれに行きたい?』と三択の質問すると、答えは『桐生』と帰ってきた。(妻は川越には数回、栃木には一回行ってる、桐生は行ったことナシ) これで、今日の妻との散歩はチョイト遠出の「桐生」に決まり!

浅草駅9時40分発の特急『りょうもう』に乗り新桐生駅で下車、桐生の古き街並み見物を開始。 幾つかの文化財を巡り歩き、上毛電気鉄道の西桐生駅を見て、最後はJR桐生駅に到着。 ここからは、両毛線、高崎線にゆられて約3時間、夜の上野に戻る。 1万7千歩の散歩 




● 11時、東武桐生線の「新桐生駅」到着。 駅は大正2年(1913)3月19日、桐生線開通と同時に開業した。 時計塔と風見鶏の外観が特徴の現在の駅舎は昭和63年(1988)に改築された。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線を有する地上駅。、、、、新桐生駅は間に渡良瀬川を挟みJR桐生駅とは、直線距離でおよそ3km離れている。 今日の散歩の目的地、桐生の古い町並みはJR桐生駅の北東に多く、まずはJR桐生駅の方角に歩くことにする。、、、、桐生の市街地の外れに降り立ったような印象、駅前にコンビニも無い!

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● 新桐生駅と桐生駅の中間、渡良瀬川に架かる「錦桜橋」(きんおうばし)。 現在の“三代目錦桜橋”は、橋長268.7m、幅員21.1m、平成17年(2002)に交通量の増大に対応し架け替えられたものである。 初代の錦桜橋は、東武鉄道開通にあわせて、桐生市中心部と東武の新桐生駅を結ぶ橋として、大正4年(1915)に吊り橋で架けられた。 “初代”は大正11年(1922)に大水で流失。 翌大正12年(1923)に水戸工兵隊により新橋が起工され、大正14年に、鉄鋼製洋式ワーレントラス構造の“二代目錦桜橋”が開通した。、、、、明治時代は渡し舟があったそうだ!

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・・・・・・・・・・・・橋の手前(新桐生駅側)には、地元密着型の銭湯があった。 心身共に温まりそうだ!

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・・・・・・・・・・・・橋を渡ると(JR桐生駅側)、平成6年に新築された「桐生市産業文化会館」がある。 近未来的な白い円筒部分が印象的である、総工費約140億円也の文化ホール。 施設は地上4階地下1階。高さは30.96m、鉄筋コンクリート造。 延べ床面積約18200㎡。  大ホール(シルクホール)は、客席数最大1,517席でコンサートなどに利用されているそうだ。 

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● 「絹撚記念館」は、大正期には国内最大の撚糸会社であった旧日本絹撚株式会社の事務所棟である。 旧日本絹撚株式会社は、明治35年(1902)、当時の農商務省の殖産興業施策によって、現在のJR桐生駅南口の一帯に桐生撚糸合資会社として広大な工場を設置したことに始まるそうだ。、、、、建物は木骨石造鉄板葺(当初はスレート)で、小林力雄の設計、小川建築事務所(現:小川建設)の施工により、大正6年(1917)に竣工した。、、、、現在は、郷土資料館として利用され、大人150円で内部を拝見できる。 

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● JRの高架橋下を抜けると、「桐生織物記念館」がある。 ここは、桐生織物協同組合により昭和9年(1934)に建てられた。 木造2階建て、洋瓦葺き、外壁はスクラッチタイル張りの洋風建築。(国の登録有形文化財) 内部では地場の織物として“桐生織”が展示されている。 1階のショップでは桐生織の販売もある(チョイト高価な買い物になるかも?)

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● かつての花街を想像させるような建物、路地、廃屋が残る。 できれば、50年ぐらいタイムスリップして、華やかなりし頃の花街をゆっくり歩いて見たい! 

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● 徳川家康の命で、天正19年(1591)に桐生新町としてまちづくりが始まった。 町の中央(本町1丁目~6丁目)に本町通りが南北に伸び、通りの北端には桐生天満宮を遷座した。 本町通りの両側には短冊状の地割りをおこない計画的なまちづくりが行われた。 現在この地区は「桐生新町重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。、、、、保存が難しそうな建物もあるが、歴史を語る建物として保存に努めてもらいたいね、ガンバレ桐生!、、、、(多すぎて一棟毎の説明は省略する。 雅万歩の手抜きです!)

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・・・・・・・・・・・・町の北に鎮座する「桐生天満宮」、、、、社伝では景行天皇の時代(71~130)に天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神といった。 南北朝時代初期に桐生綱元(桐生氏の祖)が現在の所在地に移し、菅原道真を合祀して天満宮となった。 江戸時代には徳川家の祈願所となっていた。 現在の社殿は寛政元年(1789)に建造された。、、、、縁結びの神様として御利益を期待できそうな神社(現在「縁結び大学」と称するHPにて掲載中) 私も妻と一緒に手を合わせてきたが、縁結びの祈願をしたかな?

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● 桐生天満宮の北に群馬大学理工学部のキャンパスがある。その一隅に、国の登録有形文化財である「群馬大学同窓記念会館」がある。、、、、群馬大学理工学部の前身である桐生高等染織学校の校舎・講堂として大正5年(1916)に建築された。 内部はゴシック様式のデザインらしい。(残念ながら、内部は拝見できず) 十字架のような飾りもある、教会風の建物だ!

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● 最後はマンサード屋根の上毛電気鉄道「西桐生駅」、、、、昭和3年(1928)の上毛電気鉄道の創業時に建てられた駅舎。 国の登録有形文化財であるが、この駅舎は2018年に「上毛電気鉄道関連施設群」の一部として、土木学会選奨土木遺産にも選ばれてる。、、、、今日は、ここから電車で前橋に出て帰ろうかと思ったが、時間がかかりそうだ! 妻の一言『桐生駅からJRで高崎出て帰ろう!』 私の応え『ハイ、従います!』

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● 西桐生駅から300m程歩くとJR「桐生駅」、、、、明治21年(1888)に両毛鉄道の駅として開業。 日本鉄道を経て明治39年(1906)に国有化され、現在はJR両毛線とわたらせ渓谷鐵道が乗り入れる高架駅です。 島式ホーム2面4線の高架駅。 一日当たりの乗降客数は4000人弱で、ナントナク寂しい駅だ!

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・・・・・・・・・・・・・夜8時、浅草橋の我が家に到着。 今日(9/25)はチョイト疲れた。 家に着くなり熟睡モード、このブログは翌日(9/26)に書きました。