東急多摩川線

2022年10月11日 (火)

東急多摩川線

蒲田駅から東急多摩川線に沿って、終点駅の蒲田駅からスタートし、各駅に立ち寄りながら起点駅の多摩川駅まで歩いて来た。 久しぶりに1万6千歩の散歩。

東急多摩川線・・・・・起点の多摩川駅と終点の蒲田駅を結ぶ、5.6㎞、7駅(起終点駅を含む)の比較的短い路線。 線路は多摩川に沿い、全区間が大田区内に所在位する。、、、、東急多摩川線の歴史は、大正12年(1923)の目蒲線(目黒~蒲田間)開通に始まる。 平成12年(2000)に、多摩川~蒲田間を分離し、東急多摩川線に改称するまで、目蒲線として親しまれてきた。(目黒~多摩川駅間は目黒線となり、目蒲線は消滅した)

注・注・蛸かいな!、、、、「東急多摩川線」は正式な路線名である。 必ず“東急”を冠すること。 単に“多摩川線”と言うと、「西武多摩川線」と混同するから。 また、過去には「玉川線」、「新玉川線」が実在し、こちらとも区別するため。、、、、ただし、駅・車内などの東急電鉄内では“東急”をはずし、「多摩川線」と称することもある。



● 東急電鉄の「蒲田駅」はJR蒲田駅と直結し、乗換は便利である。、、、改札を入ると頭端式ホーム5面4線を有する高架駅である。 ホームは池上線と東急多摩川線がそれぞれ2線ずつ使用している。、、、、駅の歴史は、、、大正11(1922)10月6日、池上電気鉄道線(現:池上線)が蒲田~池上駅まで開通。大正12年(1923)11月1日 、目黒蒲田電鉄目蒲線(現:東急多摩川線)が蒲田~沼部駅まで開通。 昭和10年(1934)には目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を吸収合併したことに伴い、池上線から目蒲線への連絡線が設置される。 昭和43年(1968)東急の蒲田駅が高架化され、頭端式5面4線化され池上線・目蒲線ホームが現在の形になる。、、、、多摩川線の発着は概ね1時間に10本程度と、頻発してるので待ち時間でイライラすることは少なそうだ!

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・・・・・・・・・・駅の高架下は、居酒屋がしっかりとかため、約60軒の店舗の呑み屋街「東急駅前通り会」だ、通称「バーボンロード」。 暗くなると歩いて見たくなる横丁だ!  

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・・・・・・・・・・高架駅2階から地上に下って来る!(写真:右側2線が東急多摩川線、左側2線は池上線、正面は蒲田駅)

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・・・・・・・・・・地上に下った先で、池上線(写真右へ向かう2線)と東急多摩川線(左側を直進する2線)は別れる。

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・・・・・・・・・・東急多摩川線には主として7000系の車両が運用されている。 (池上線と共用)

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● 蒲田駅の次は「矢口渡駅(やぐちのわたしえき)」、、、、大正12年(1923)11月1日の目蒲線全通時に開業。 この時同時に開業した途中駅は次の武蔵新田駅だけで、鵜の木駅と下丸子駅は数ヶ月ほど遅れて開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 上下ホームは完全分離されていて、駅舎・改札も別々。、、、、駅名になっている「矢口の渡し」とは、昭和24年(1979)まで存在した多摩川の渡船だ。 ♪♪ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し 親のこころに そむいてまでも 恋に生きたい 二人です ♪♪ の「矢切の渡し」は江戸川、間違いないで!

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・・・・・・・・・・東急多摩川線は国道1号(=第二京浜)を越える。 国道を過ぎると、線路は下り、再び地上に戻る。

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● 三番目の駅は「武蔵新田駅(むさしにったえき)」、、、、1923年(大正12年(1923)11月1日 、新田駅として開業し、翌年に武蔵新田駅に改称。、、、、駅の構造は矢口渡駅と似て、相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎・改札も上下別々。、、、、駅名の“新田”は、ご近所の「新田神社」に由来する。 “武蔵”は東京(武蔵国)を示す。

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・・・・・・・・・・線路脇を歩く

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● 四番目は「下丸子駅(しもまるこえき)」、、、、東急多摩川線の中間駅の中では最大の乗降客数を誇る駅。 一日当たりの乗降客数は3万5千人を超える(駅から500m程の処にキャノン本社があり、電車通勤の社員が多いのかも?)、、、、駅は大正13年(1924)5月2日の開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 ここも、上下線別々にホーム、駅舎、改札がある。 かつて下丸子駅には、構内踏切があり、改札は一か所であった。

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・・・・・・・・・・下丸子駅と次の鵜の木駅間は最も短い0.6㎞、駅間で最も長いのは蒲田駅~矢口渡駅間で1.3㎞。

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● 五番目の駅は「鵜の木駅(うのきえき)」、、、、下丸子駅に似たデザインの鵜の木駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で、こちらも上下線別々の改札となっている。、、、、大正13年(1924)2月28日に目蒲線の鵜ノ木駅として開業、、、、駅名の“鵜の木”は古くからの地名で、この付近一帯は昔、鵜が非常に多く住み着いており、豊かな森が広がっていたことから、「鵜ノ森」と呼ばれていた。 その「鵜ノ森」が「鵜ノ木」と変化したそうだ。

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・・・・・・・・・・鵜の木駅から次の沼部までは長い直線区間。 沼部駅の手前では、東海道新幹線・横須賀線の下を抜ける。

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● 六番目の駅は「沼部駅(ぬまべえき)」、、、、大正12年(1923)3月11日に目黒蒲田電鉄の丸子駅として開業。 翌大正13年(1924)、武蔵丸子駅に改称し、さらに大正15年(1926)、沼部駅に改称。 沼部駅も、これまでの駅と同様で、相対式ホーム2面2線の地上駅。 改札も上下線別々。、、、、“沼部”は駅所在地の旧字名

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・・・・・・・・・・駅の北側に真言宗智山派寺院の「東光院」がある。 有慶山と号す、、、、開創の年代は不明だが、文禄3年(1594)頃に創立されたと推察される。、、、、東光寺の山門脇から北西の国道2号(=中原街道)まで道路に沿って、江戸時代に灌漑用水路として造られた「六郷用水」が復元されている。 現在は親水公園のように整備され、水が流れ、コイが泳ぎ、亀が首を出している。

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● 東急多摩川線の起点駅「多摩川駅(たまがわえき)」に到着、、、、線路名称上で当駅に乗り入れているのは、東横線と東急多摩川線の2路線である。ただし東横線には、田園調布駅~日吉駅間の複々線を利用して、東横線の列車と目黒線の列車も乗り入れており、それぞれ別路線として案内されている。そのため、当駅は東横線・目黒線・東急多摩川線の3路線の接続駅として案内されている。  駅の歴史は、大正12年(1923)3月11日の目黒蒲田電鉄・目黒~丸子駅(現:沼部)間開通と同時に多摩川駅として開業した。 大正15年(1926)には、駅名を丸子多摩川駅に改称し、さらに昭和6年(1931)に近くにある「多摩川園遊園地」の名前を取って駅名を多摩川園前駅に改称。 まだまだ、昭和52年(1977)に駅名を多摩川園駅に改称。 そして、平成12年(2000)に、目蒲線が目黒線+東急多摩川線に分割されるとともに、駅名を再び「多摩川駅」に改称。、、、、東横線ホームの高架化、目蒲線ホームの地下化は平成8年(1996)に工事が完了。 現在は、東横線と目黒線が使用する1~4番線ホームは高架島式2面4線構造。 外側を東横線、内側を目黒線が使用する。 東急多摩川線は地下の5・6番線ホームを使用、島式1面2線構造である。

・・・・・・・・・・2階は東横線・目黒線、東急多摩川線は地下。

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・・・・・・・・・・東急多摩川線の田園調布寄りのホームに立つと、線路は地上に向かって伸びている、目黒線と東急多摩川線の線路はつながっているのだ! この部分を走る定期列車はないので、回送用の線路か?

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・・・・・・・・・・・・地下ホームから顔を出す東急多摩川線蒲田行き!

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