長野県

2024年5月18日 (土)

別所温泉 2

別所温泉の朝湯でサッパリ、シャッキリ、パッチリ目覚め、朝食食べて元気に出立。 今日は、上田市の隣り東御市の「北国街道 海野宿」を歩き、さらに東の小諸「懐古園」を見て、佐久平駅から新幹線で帰京する。



● 別所温泉から上田電鉄に乗り上田駅に出た。 上田駅から、海野宿の最寄り駅である大野駅までは、しなの鉄道で2駅目だが、あいにく電車は出たばっかり、次の発車は1時間後。 横着な年寄り二人は、タクシーで海野宿の入口まで向かう。、、、、上田駅は、JR東日本(北陸新幹線)・しなの鉄道(しなの鉄道線=旧信越本線の一部)・上田電鉄(別所線)の駅である。 明治21年(1888)8月15日、官設鉄道の駅として開業した。、、、、昭和40~50年頃は、上野から夜行列車に乗り、早朝に上田、長野で降りて、菅平高原、志賀高原などのスキー場に向かった思いである駅。 当時の駅舎は無くなり、モダンな駅ビルとなってる。
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● 海野宿の入口までタクシーに送ってもらい、ここから街道を歩く。、、、、「海野宿(うんのじゅく)」は、長野県東御市本海野(しなの鉄道田中駅と大野駅の中間地点)にある。 江戸時代の寛永2年(1625)に、北国街道(信濃国の東部:軽井沢と善光寺門前町を結ぶ街道)の宿場として、幕府によって設置された。 現在も、延長650 m、幅10 mの旧北国街道の両側には、旅籠屋造り、蚕室造り、茅葺屋根など当時使用された約100棟の歴史的な建物が往時の屋号を掲げ残り、歴史的な町並みを形成している。 街道の水路はかつて生活用水として使われていたそうだ。 昭和62年(1987)には海野宿が重要伝統的建造物群保存地区として選定された。 現在も残る100棟ほどの建物は保存状態も良く、また(たまたまなのか?)観光客も少なく、通る車も少なく、時が止まった静かな街道には、時代劇一場面を感じることができた。
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・・・・・・・・・・ 観光客が少ないせいか、開いてる店も少なく。 一軒の蕎麦屋に入る。 ランチセットは、名物手打ちそばクルミのぼた餅。 食べれば笑顔で再び歩く!
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・・・・・・・・・・ 宿場の中程に、冬の夕暮れのしじまの中で小林一茶が詠んだ一句、、、、「夕過の臼の谺の寒哉」(夕過ぎの臼のこだまの寒さかな)
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・・・・・・・・・・ 街道の東端に、海野宿の産土神、日本武尊の伝説を縁起とし、海野氏・真田氏の氏神として祀られた「白鳥神社」がある。
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・・・・・・・・・・ 白鳥神社の隣りに「媒地蔵尊(なかだちじぞうそん)」が祀られている。 加賀藩の前田候が参勤交代の道中にお参りしたところ、良縁に恵まれないでいた姫様が、無事結婚できたという縁結びの地蔵さん。
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● 海野宿から徒歩30分、30℃にい近い陽気、汗をかきかきしなの鉄道の線路沿いを歩いて、田中駅に着いた。、、、、田中駅は、明治21年(1888)12月1日、官設鉄道信越線の駅として開設した。 現在は、単式ホーム1面1線(上り本線)と島式ホーム1面2線(下り本線と中線)、計2面3線を有する地上駅。 海野宿の最寄り駅であり、駅舎は千本格子や木彫り看板などのある宿場町風の外観となっている。
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● 帰りの新幹線は、上田駅20時過ぎの指定席を確保していたが、ニュースによると、熊谷付近で突風でビニールが架線に絡まり、北陸新幹線・上越新幹線とも大幅な遅れが出ているそうだ。 ダイヤの乱れは夜まで続くと聞いて、急遽帰りは、小諸駅に出てJR小海線の佐久平駅から新幹線の自由席で帰ることにした。、、、、小諸ではチョイト小諸城址の「懐古園」を見て行こう!
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2024年5月17日 (金)

別所温泉 1

17日、夫婦で信州最古の温泉地と言われてる別所温泉に一泊してきた。 一昨年は娘共の家族と訪れたが、今回は夫婦二人旅である。 私も妻も別所温泉は3度目で、周辺の主な観光地(善光寺、上田城、北向観音堂、安楽寺など)は来たこともあり、知らぬ所をのんびり巡ることにした。




● 10時上田駅に到着。 上田駅から徒歩7分の至近にあるが、上田城とは方向が異なるためか、訪れる人の少ない「常田館製絲場(ときたかんせいしじょう)」寄って見た。、、、、常田館製絲場は明治33年(1900)創業の製糸工場。 笠原工業株式会社構内に常田館製絲場に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が国の重要文化財に指定されている。 国内最高層の木造5階建繭倉庫、大正時代末建築の長野県最古の鉄筋コンクリート5階建倉庫群など、製糸技術が発達した時代の先人達の工夫と知恵の足跡が歴然と残る貴重な文化遺産だ。、、、、笠原工業の方に許可を頂き、内部を見せてもらった。
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・・・・・・・・・・ 明治38年(1905)に建てられた「五階繭倉庫」。 木造土蔵造瓦葺、国内唯一の木造5階建繭倉である。 各階間口24間、奥行5間、120坪の総5階、床面積延600坪(約1,983m2) 当初、諏訪式製糸の特徴の一つである多窓式繭乾燥・保管のための生繭倉庫として建築された。 21cm角の通し柱が5.4mおきに設けられている他約18cm毎に繭を乾燥・保管する蚕籠を乗せる蚕架の桟を挿し入れる直径3cm程の穴が開けられ向かい合っていた。 土蔵造の外壁は白漆喰塗。、、、、現在、内部には製糸機器などはなく、笠原工業の製品倉庫として一部使用されている。
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・・・・・・・・・・ 明治45年(1912)建築の木造土蔵造4階建ての「四階繭倉庫」 大きさは各階間口6間、奥行12間、72坪の総4階建て。   開口部は各階南北に両開き鉄扉と内側ガラスの引戸が1箇所ずつあるのみで、東西には窓が一つも無く当初から干繭倉として建てられたらしい。
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・・・・・・・・・・ 長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリート造5階建て建築物である「五階鉄筋繭倉庫」  大正15年(1926)竣工、鉄筋コンクリート造、5階建の倉庫。 木造5階建繭倉と異なり、干繭倉として建てられたもので、入口は両開きの鉄扉が東と二階東角に設けられている。 階高も、約240cm~345cmと木造繭倉より高くなっている。
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・・・・・・・・・・ 明治41年(1908)に建てられた「常田館/事務所兼館主住宅」 木造瓦葺2階建、床面積は1階50坪(163.78m2)、2階41坪(136.63m2)、、、、「常田館」の名称は、笠原組製糸が上田工場を建設した地が常田地籍であり、その地名をとり称号としたもの。  洋館風事務所として建築され、当初1階は館主宅として、2階広間と客間4部屋は結婚式や従業員の打ち合わせ・慰労会等多目的に使用された。 現在は昭和天皇皇后両陛下行幸啓の際の玉座を初めとして、養蚕・製糸等に関する資料・器械・美術品を展示している。
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● 上田駅から、上田電鉄別所線に乗り「下之郷駅(しものごうえき)」で下車する。 下之郷駅は大正10年(1921)6月17日、上田温泉電軌により、川西線の駅として開業した。 昭和14年(1939)川西線が別所線に路線名称を変更、また同年9月1日には社名変更により上田電鉄となる。、、、、島式1面2線のホームを持つ地上駅であり、駅前のロータリー状の広場より構内踏切を通って入構する。 駅舎としての建物はホーム上にある朱塗りの柱が特徴的な建物だけ。 一日平均乗車人員は160名程。 これでも、当駅は上田電鉄の登記上の本社所在地となっている。
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● 下之郷駅で下車したのは、「生島足島神社(いくしまたるしまじんじゃ)」の最寄り駅である。 駅から徒歩5分、生島足島神社に参拝。、、、、生島足島神社は、生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社。、、、、創建の年代は不明だが、神代の昔、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地に留まり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献じたと伝えられている。 生島神は生国魂大神、足島神は足国魂大神とも称され、共に日本全体の国の御霊として奉祀される大神である。 平城天皇の大同元年(806)には神戸の寄進があり、醍醐天皇の廷喜の代(901~922)には名神大社に列せられる。 建治年間(1275~1278)には北条国時が社殿を営繕し、地頭領家も祭祀料の田地を寄進する。 戦国時代以後も真田昌幸・信之等の武将を始め、代々の上田城主も神領を寄進し、社殿を修築する。、、、、池の中央の島にある本殿はまわりを老樹に囲まれて建っている。 この池を巡らせて神域とされる島をつくる様子は「池心の宮園池」と称され、出雲式園池の面影を残す、日本でも最古の形式の一つとされる。 現社殿は昭和15年(1940)に国費をもって竣工された。
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・・・・・・・・・・ 境内にある歌舞伎舞台は、間口九間(16.36m)、奥行七間(12.27m)で農村歌舞伎舞台の中で最大規模を誇る。 伝えでは、明治元年(1868)に建設され、内部には回り舞台やせり上がりもあるそうだ。 その後校舎や集会所としても利用されたという。 江戸期の農村歌舞伎舞台の典型的な姿を完全に伝えており、長野県宝に指定されている。
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・・・・・・・・・・ 池にはカメ、コイはもちろん居るが、アヒルも居る。 一袋100円の餌を買って、アヒルに遊ばれる妻。
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● 再び上田電鉄に乗り終点の「別所温泉駅(べっしょおんせんえき)」に到着。 別所温泉駅は、大正10年(1921)6月17日、上田温泉電軌の別所駅として開業。 昭和5年(1930)駅名を別所温泉駅に改称。 単式ホーム1面1線の地上駅。 現在の駅舎は昭和25年(1950)に改築され、現在の外観となった。 上田丸子電鉄時代からの駅舎で、当時の社紋が残ってる。
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・・・・・・・・・・ 電車の発着時、出迎え、見送りをしてくれる、和装制服の袴を着用して勤務する観光協会の女性職員。 観光駅長さん
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● 別所温泉に来たらまずは、北向観音(きたむきかんのん)に御挨拶。 北向き観音は、天台宗の寺院で、近くにある常楽寺が本坊である。 寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825)円仁(慈覚大師)によって、常楽寺とともに開創された。 安和2年(969)平維茂によって大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興。鎌倉時代の建長4年(1252)には北条国時によって再建された。 現在の堂は、享保6年(1721年)に再建され、昭和36年(1961)に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」となる。、、、、北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する。 善光寺の方に向いているのか? 旅の無事を祈り、『今年も、やってきました。 無事、帰れますように。』夫婦で合掌、、、、東南アジアの大学生らしき観光客が境内にチラホラ。 何やら騒がしい団体だ!
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● 今日のお宿は、北向観音を見下ろす、展望露天風呂のある老舗旅館。 部屋は上田の町が遠望できる見晴らしの良い最上階! 美味しい夕食頂いて、Good Night!
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2023年9月17日 (日)

善光寺

夫婦二人旅の空模様は、晴天なれど日は暑し、16日に続き今日17日も猛暑日。 湯田中温泉を出て、まずは小布施へ、その後善光寺に参拝して帰京した。




● 午前中から31℃越えの小布施駅で下車。、、、、単式ホームと島式ホーム、計2面3線のホームを有する地上駅。 昭和60年(1985)に改築された駅舎は平屋建てで、小布施総合案内所が入居しており、観光案内のコンシェルジュが常駐している。、、、、電車から降りる人も少なく、小布施でのんびり町歩きできると思いきや、大変なことになる!

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● 小布施で降りた妻の狙いは二つ、まず一つ葛飾北斎の歴史を語る北斎館の見学、そして最大の目的である桜井観甘精堂のモンブランを食すこと。 駅から北斎館に向かう。

・・・・・・・・・・ 北斎館に向かう途中、桜井甘精堂、小布施堂、竹風堂などの有名和菓子屋の前を通ると、どこの和菓子屋も店の前はスゴイ人だかり。 『ナンジャ! みんなモンブラン、栗ソフト、栗おこわを食べに来た観光客だ!』 みなさん車で観光旅行。 電車で旅するは我が夫婦だけか! 道理で、駅前に人が少ない訳だ!、、、、妻の狙いであったモンブランは諦めることにした、残念!

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・・・・・・・・・・ 北斎館はスムースに入館できた。 どうやら、観光客には葛飾北斎より栗が勝るようだ!、、、、北斎館は内部撮影禁止

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● 再び長野電鉄に乗り善光寺へ、、、、善光寺には昨年6月、御開帳で訪れている。 今回も手を合わせて帰ることにした。

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・・・・・・・・・・ チョイト問題、、、、善光寺の宗派は何?、、、、善光寺は、一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を本尊として、寺院が宗派に別れる時代以前から創建され、以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、また民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ておる。 善光寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られてるが、現在その護持運営は大勧進を本坊とする天台宗と、大本願を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われている。




善光寺参道の近代建築・・・・・大門町周辺の近代建築を数件紹介

・・・・・・・・・・ 旧藤屋旅館、、、、設計は藤井平五郎、大正13年(1924)竣工、国の登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 五明館、、、、現在は善光寺郵便局、昭和7年(1932)竣工

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・・・・・・・・・・旧信濃中牛馬合資会社、、、、現在は楽茶れんが館、中沢与左衛門の設計、明治45年(1912)完成、国の登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 第八十二銀行 大門支店、、、、平成9年(1997)に復元された銀行建築。 施工:瀬水建設

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・・・・・・・・・・ 日本聖公会 長野聖教主教会、、、、教会のホームページによると『この教会は1892(明治25)年長野で宣教を始めたカナダ人宣教師ジョン・ゲージ・ウォーラー(J.G.Waller)師により創立されました。長野県内唯一最古のレンガ造りの聖堂は1898(明治31)年、ウォーラー師を中心として建設され聖別されました。以来百余年、この静かなたたずまいの聖堂は信仰の砦として、また「レンガの教会」として親しまれてきました。私たちは地域に開かれた教会をめざして、地域の子どもの自由な遊びの空間として会館を開放しています。』と説明されている。、、、、チョイト内部を拝見!、、、、外観の素晴らしさに魅せられ、素朴で癒される内部空間に驚いた。

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● 歩き疲れ、汗はダラダラ、足は棒、参道沿いの竹風堂でひと休み。 小布施で見送った栗みつまめを食す。 妻は笑顔、ニッコリ!

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2023年9月16日 (土)

旧志賀高原ホテル

まだ連日猛暑日が続く中、16日から一泊二日で志賀高原・小布施・善光寺へ行ってきた。、、、、旅行は三週間ほど前に、東京~長野間の新幹線切符が入手できた。 急遽、50年程前、何度か妻と泊まった旧志賀高原ホテルのその後が見たくなり、夫婦で長野へ行ってきた。




● 朝7時頃の新幹線で東京を立ち、8時半長野着。 長野電鉄に乗り換え湯田中へ。

・・・・・・・・・・ JR駅舎から出て、エスカレーター・階段・エレベーターを用いて地下1階の長野電鉄改札口へ、さらに地下2階のホーム階へ下る。 櫛形ホーム2面3線 (85m) の地下駅である。 この地下が造られたのは昭和56年(1981)だ。、、、、長野電鉄長野線の長野駅~権堂駅間の開通は昭和3年(1928)6月24日、に伴い、あと数年で100周年となる。

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・・・・・・・・・・ 現在の長野電鉄は、長野駅~須坂駅~信州中野駅~湯田中駅間の一路線だけの営業だが、かつては屋代駅~須坂駅、信州中野駅~木島駅の路線も運行していた。 私が小学校高学年(1957年頃)の時、屋代から長野電鉄に乗り山田温泉へスキーに行った記憶がある。 写真は今の須坂駅

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・・・・・・・・・・ 終着:湯田中駅に到着。 昭和2年(1927)4月28日、信州中野駅~湯田中駅間の開通に伴い開業。 単式ホーム1面1線の地上駅。 線路を挟み東側には旧駅舎、西側に現在の駅舎(昭和30年(1955)完成)がある。、、、、現駅舎には駅務室・待合室・観光案内所などがあり、駅前はバス乗り場もある。

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・・・・・・・・・・ 現ホームとは線路を挟み反対側に国の登録有形文化財として旧駅舎が保存されてる。

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● 湯田中駅からバスに揺られて志賀高原へ。 バスの終点蓮池で下車。 高原の爽やかな風を期待したが、厳し残暑の暑い・熱い・灼熱の空気。

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・・・・・・・・・・ 折角ここまで来たからには、3本のゴンドラを乗り継いで標高2000mの東館山(ひがしたてやま)の山頂を目指す。、、、、スキー場にとっては夏はオフシーズン、4人乗りのゴンドラは客も少なく我が夫婦のみ。 四方をガラスで覆われたゴンドラ内部はサウナ状態。 高所恐怖所の私は、恐怖とサウナで汗が滴り落ちる、助けてくれ~~!

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・・・・・・・・・・ 写真中央の頂が東館山(標高2000m)、、、、山頂が、1998年長野オリンピックのアルペンスキー大回転コースのスタート地点。 勇気ある者が滑るコースだ!

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● 東館山から蓮池に戻り、丸池の近くにあった旧志賀高原ホテルを訪ねる。 私たちが結婚後二人で、子供ができて三人で、泊まったホテル。、、、、旧志賀高原ホテルは、全国で11番目の国策ホテルとしてスキー場とともに開発され昭和12年(1937)に開業した。 客室数は174室であった。 ドイツ人の指導のもと清水組(現:清水建設)の設計・施工で造られた。 ホテルは、山小屋をイメージしたデザインで、中央玄関の奥にエントランスホール、ホールの左右両翼に客室が配置されていた。 正面玄関を入ると、3階までの3層吹き抜け空間に大きな暖炉が客人を出迎えてくれる。 木の梁と石材をふんだんに使用した空間は、白い壁と赤い絨毯と相まって、温かみと美しさのある高級感を兼ね備えていた。 2階と3階にはステンドグラスや日本画が飾られ、上品で落ち着いた内装である。 戦前から1960年代にかけて、皇族をはじめ国内外から多くの観光客が同ホテルを来訪し、1970年代以降は、スキーの大衆化と宿泊客の増加に合わせホテルの一部を改築。 平成のスキーブーム、その後のバブルの崩壊、そしてスキーブームの終焉により客足が遠のき平成11年(1999)に廃業した。 その後、建物はエントランスホールと一部客室を残して解体された。 現在、残った施設は平成14年(2002)に「志賀高原歴史記念館」として一般公開されている。 平成19年度、近代化産業遺産に指定された。、、、、二人で、ここでなに食べた?、泊まった部屋はどこだった? いろいろと思い出話をしながら見学。

・・・・・・・・・・ 志賀高原歴史記念館のパンフレットにあったホテル当時の写真
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・・・・・・・・・・ 現在の建物

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・・・・・・・・・・ 内部は、暖炉も、椅子も、照明も、全てホテル時代のまま

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・・・・・・・・・・ 旧志賀高原ホテルをあとに、丸池の先、サンバレーのバス停からバスに乗る。

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● 旅の疲れは、湯田中温泉で、、、、三連休の初日、どこのお宿も満員御礼! 

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2022年11月 6日 (日)

雲上のホテル

5日・6日と家族旅行(我が夫婦+娘家族5人)で美ヶ原にある雲上のホテルに行ってきた。



● 新宿発「8時ちょうどのあずさ5号」で松本へ向かう。、、、、♪♪ 8時ちょうどのあずさ2号で ♪♪ というフレーズで有名な、昭和52年(1977)の「狩人」のヒット曲『あずさ2号』を思い出す。 しかし、歌に出てくる新宿発8時の下り「あずさ2号」は、翌昭和53年には廃止となった。(上り「あずさ2号」は残る) この歌も古くなった、自分も古くなったもんだ、家族に連れられ松本へ。、、、、今宵の泊りは、美ヶ原の最高峰(標高2,034m)「王ヶ頭」(おうがとう)の山頂にあるホテル。(赤い矢印は、松本駅付近の車窓から見た王ヶ頭)

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・・・・・・・・・・ 10時40分、松本駅に到着、、、、「松本駅」はJR東日本の篠ノ井線と大糸線、アルピコ交通の上高地線が乗り入れている。 明治35年(1902)6月15日、国鉄篠ノ井線の松本~西条駅間の開通と同時に開業した古参駅。 平成19年(2007)現在の駅ビルが完成した。、、、、駅前は広々としてアルプスの玄関口にふさわしい。

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● ホテルの送迎バスが駅前に到着する時刻は1時45分。 まだ、3時間弱の余裕がある。 皆で、松本城見学!、、、、天守から東を眺めれば、王ヶ頭(写真:赤い矢印)がはるか遠くに見える、 『あそこまで、これから行くのか。 遠いいな!』

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● 13時40分、駅前に「王ヶ頭ホテル」の送迎バスが到着。 大型バス1台に満員となる宿泊客を乗せて、美ヶ原山頂の「王ヶ頭」(標高2,034m)まで出発!、、、、ホテルは山頂にあり、自然保護区でマイカーの乗り入れが規制されてるため、宿泊客の多くはこの送迎バスに乗つている。 バスの中は多くの中高年で、皆さん人気の宿泊を楽しみにしているようだ!(話では、連日満員で、来年のゴールデンウィーク明けまで予約が取れないらしい)、、、、バスは途中、美鈴湖経由で1時間半走り、山頂(写真:赤い矢印)を目指す。

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・・・・・・・・・・ 15時、ホテル前に到着

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● ホテルのある「美ヶ原」は、安山岩質の組成を持つ火山の浸食地形の台地らしい。 最高峰は、王ヶ頭(2,034m)。 他に、王ヶ鼻(2,008m)、茶臼山(2,006m)、牛伏山(1,990m)、鹿伏山(1,977m)、武石峰(1,973m)といったピークがある。 山頂付近は平坦な台地状の地形で、美ヶ原牧場と呼ばれる牛の放牧地となっている。 美ヶ原牧場には5月から10月まで約300頭の牛が放牧されているらしいが、この日は一頭も見ることはなかった。、、、、美ヶ原は、長野県のほぼ中央に位置し、県内の広範囲を見渡すことができる。 また、王ヶ頭は最高地であり、放送・通信の要衝となって、ホテルの周囲には多くの送信設備(鉄塔、アンテナ)が設置されていた。

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王ヶ頭ホテル」(ホテルの詳細はホームページを見て!)はコンビニも、みやげ屋もない山頂の一軒宿。 昭和35年(1960)に山頂まで道路が開通したそうだが、当時はまだ“山小屋”で美ヶ原高原荘と称していたらしい。 今は『標高2034m 天空のリゾート』と称し、『非日常の時空』、『天空の部屋』、『至福の瞬間(とき)』、『雲上の風呂』を売りにする“4つ星ホテル”。、、、、午後3時の到着から、翌日11時の出発まで、客を退屈させぬよう、各種趣向が凝らされていた。 夕食前に夕陽を見る、信州の食材を味わう夕食、星空を見る時間、日の出を見る、雲海を見る、夕食に負けない朝食、眼下を見下ろす山頂の風呂、お客をたっぷり楽しませてくれた。、、、、あまり褒めると、ホテルの回し者に間違えられるので、ここまで!

・・・・・・・・・・ 山頂の「御嶽神社

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・・・・・・・・・・ 人影が伸びる夕陽の山頂

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・・・・・・・・・・ 眠い目を擦り、防寒着を着て早朝の外気に触れる。 夜明けの山頂、富士山のシルエット、雲海も見えた!

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・・・・・・・・・・ ホテルの外で日の出を迎えた宿泊客

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・・・・・・・・・・ そろそろ、下山の時刻が近づいた。 みんな揃って、ハイ・チーズ!

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