別所温泉 2
別所温泉の朝湯でサッパリ、シャッキリ、パッチリ目覚め、朝食食べて元気に出立。 今日は、上田市の隣り東御市の「北国街道 海野宿」を歩き、さらに東の小諸「懐古園」を見て、佐久平駅から新幹線で帰京する。
● 別所温泉から上田電鉄に乗り上田駅に出た。 上田駅から、海野宿の最寄り駅である大野駅までは、しなの鉄道で2駅目だが、あいにく電車は出たばっかり、次の発車は1時間後。 横着な年寄り二人は、タクシーで海野宿の入口まで向かう。、、、、上田駅は、JR東日本(北陸新幹線)・しなの鉄道(しなの鉄道線=旧信越本線の一部)・上田電鉄(別所線)の駅である。 明治21年(1888)8月15日、官設鉄道の駅として開業した。、、、、昭和40~50年頃は、上野から夜行列車に乗り、早朝に上田、長野で降りて、菅平高原、志賀高原などのスキー場に向かった思いである駅。 当時の駅舎は無くなり、モダンな駅ビルとなってる。
● 海野宿の入口までタクシーに送ってもらい、ここから街道を歩く。、、、、「海野宿(うんのじゅく)」は、長野県東御市本海野(しなの鉄道田中駅と大野駅の中間地点)にある。 江戸時代の寛永2年(1625)に、北国街道(信濃国の東部:軽井沢と善光寺門前町を結ぶ街道)の宿場として、幕府によって設置された。 現在も、延長650 m、幅10 mの旧北国街道の両側には、旅籠屋造り、蚕室造り、茅葺屋根など当時使用された約100棟の歴史的な建物が往時の屋号を掲げ残り、歴史的な町並みを形成している。 街道の水路はかつて生活用水として使われていたそうだ。 昭和62年(1987)には海野宿が重要伝統的建造物群保存地区として選定された。 現在も残る100棟ほどの建物は保存状態も良く、また(たまたまなのか?)観光客も少なく、通る車も少なく、時が止まった静かな街道には、時代劇一場面を感じることができた。
・・・・・・・・・・ 観光客が少ないせいか、開いてる店も少なく。 一軒の蕎麦屋に入る。 ランチセットは、名物手打ちそばとクルミのぼた餅。 食べれば笑顔で再び歩く!
・・・・・・・・・・ 宿場の中程に、冬の夕暮れのしじまの中で小林一茶が詠んだ一句、、、、「夕過の臼の谺の寒哉」(夕過ぎの臼のこだまの寒さかな)
・・・・・・・・・・ 街道の東端に、海野宿の産土神、日本武尊の伝説を縁起とし、海野氏・真田氏の氏神として祀られた「白鳥神社」がある。
・・・・・・・・・・ 白鳥神社の隣りに「媒地蔵尊(なかだちじぞうそん)」が祀られている。 加賀藩の前田候が参勤交代の道中にお参りしたところ、良縁に恵まれないでいた姫様が、無事結婚できたという縁結びの地蔵さん。
● 海野宿から徒歩30分、30℃にい近い陽気、汗をかきかきしなの鉄道の線路沿いを歩いて、田中駅に着いた。、、、、田中駅は、明治21年(1888)12月1日、官設鉄道信越線の駅として開設した。 現在は、単式ホーム1面1線(上り本線)と島式ホーム1面2線(下り本線と中線)、計2面3線を有する地上駅。 海野宿の最寄り駅であり、駅舎は千本格子や木彫り看板などのある宿場町風の外観となっている。
● 帰りの新幹線は、上田駅20時過ぎの指定席を確保していたが、ニュースによると、熊谷付近で突風でビニールが架線に絡まり、北陸新幹線・上越新幹線とも大幅な遅れが出ているそうだ。 ダイヤの乱れは夜まで続くと聞いて、急遽帰りは、小諸駅に出てJR小海線の佐久平駅から新幹線の自由席で帰ることにした。、、、、小諸ではチョイト小諸城址の「懐古園」を見て行こう!