静岡県

2026年1月15日 (木)

修善寺旅行

14日・15日、夫婦で伊豆修善寺温泉に行ってきた。 修善寺温泉には10年ぶりの旅行で、以前に来た時のことを思い出しながら、ボケてないことを互いに確認しあう旅となった。


● 東京ー三島間は往復新幹線を利用し、三島から修善寺までは伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)を利用してのんびり旅。 路線名の駿豆とは駿河国と伊豆国を意味するが、これはかつて同線が駿河国に属する沼津市と伊豆国に属する三島市の間に軌道線(路面電車、1963年廃止)を運行していた駿豆電気鉄道の路線だったことに由来する。、、、、、現在の駿豆線は、営業キロ : 19.8 km、軌間 : 1067 mm、駅数 : 起終点駅含め13駅、全線単線電化の路線である。、、、、、普通列車は日中おおむね20分間隔で三島駅 - 修善寺駅間を運行している。 東京から東海道本線を経由して特急「踊り子」(5両編成)が平日2往復・土休日3往復乗り入れてる。 JRが乗り入れてる路線であるから、Suica、PASMOなどのICカードを利用できるかと思ったら、ダメだった。 切符を購入して乗車すること!

・・・・・・・・・・ 昭和9年(1934)開業の現在の伊豆箱根鉄道三島駅から乗車。 JR三島駅からは連絡改札がある。 頭端式ホーム2面3線の地上駅。 南側の単式ホームが7番線、北側の島式ホームが8番線と9番線である。、、、、、特急「踊り子」号は直通運転の関係からJRの1番線を発着する。

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・・・・・・・・・・ 三島駅から二駅目の三島田町駅。 明治31年(1898)に開業した古参駅。 単式ホーム・島式ホーム計2面3線の地上駅で、三嶋大社への最寄り駅である。
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・・・・・・・・・・ 三島駅から八駅目が、
明治31年(1898)5月20日開業の駅伊豆長岡駅。 単式ホーム・島式ホーム計2面3線を有する地上駅。 各ホームは富士山がよく見える跨線橋で結ばれている。、、、、、 駅から100m先の青い橋(狩野川に架かる千歳橋)を渡ると、伊豆長岡町の町で、古奈温泉・長岡温泉の湯の町となる。、、、、、私達は駅前からバスで「伊豆パノラマパーク」へ行った。
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・・・・・・・・・・ 三島駅から十二駅目は、駿豆線の終点駅、
大正13年(1924)に開業した修善寺駅。 頭端式ホーム3面5線の地上駅。、、、、、 ホームには懐かしの洗面台があった。 汽車に揺られて長旅の終着駅、ホームに降りて煙の煤で汚れた顔を洗い、口もすすいで、イザ温泉へ! 
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● 伊豆長岡駅からバスで20分程、「伊豆パノラマパーク」へお立ち寄り。 伊豆パノラマパークは、伊豆長岡駅から南西に約4㎞の所にある標高452mの葛城山の山頂と北麓を利用した観光リゾート施設である。 傾斜長1,791.95m、最大高低差411.11mのゴンドラで山頂に登り、山頂では「碧テラス」と称する展望台がある。 展望台からは
富士山と駿河湾の望める360度の大パノラマが望める。 富士山の眺望は素晴らしい!
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・・・・・・・・・・ 山頂から、、、、、円形のデッキの外側には、人が入らないように水が張られてる
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● 修善寺駅からバスで10分、修善寺温泉で降りる。 温泉街の中心はなんと言っても曹洞宗の寺院「修禅寺」

・・・・・・・・・・ 修禅寺は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院。 山号は福地山。 正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」で、略して福地山修禅寺と呼んでいる。 修善寺温泉街の中心に位置する。 地名は「修善寺」、寺名は「修禅寺」で、表記が異なるが、両方とも「しゅぜんじ」と読む。 初期には「桂谷山寺」と呼ばれており、鎌倉時代より「修善寺」と呼ばれていたが、鎌倉時代中期に臨済宗に改宗し「善」を「禅」に変更したとの説がある。 鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたことでも知られている。、、、、、現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものである。 修禅寺には国の重要文化財に指定された木造大日如来坐像がある、また県の文化財が2点あるが、そのほかには目ぼしい文化財はない。 せめて、山門、本堂などの建物が文化財であったら良かった、チョイと寂しいね!
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・・・・・・・・・・ 修禅寺の東側100m程に、見応えある
大きな杉の木とトチノキがある「日枝神社」が鎮座する。 ここは、かつて修禅寺の信功院があった場所で、源範頼が兄・源頼朝から幽閉された場所。 
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・・・・・・・・・・ 日枝神社の西側600m程の山腹に、「源範頼の墓」がある。 幽閉後、梶原景時率いる兵の不意打ちにあい、防戦の末に自刃したと伝わる。、、、、、民家の裏山にある古ぼけた墓だが、“源範頼の墓”と言われると、一見すべき墓なのかも?
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・・・・・・・・・・ 修禅寺山門前に流れる桂川の中に、空海が修善寺を訪れたとき、桂川で病んだ父親の体を洗う少年を見つけ心うたれ、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させた(?)といわれてる「独鈷の湯」がある。 この湯が修善寺温泉発祥の湯ともいわれてる。
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● 桂川沿いの竹林を抜け「〇久旅館」で一泊。 この宿は10年前にも泊まらせてもらった、食事は美味しい懐石料理、素敵な宿だ!
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● 二日目はのんびり湯につかり、遅めに宿を発ち、「
三嶋大社」に寄ってみた。 三嶋大社は、大山祇命、積羽八重事代主神を主祭神とする。 式内社(名神大社)、伊豆国一宮、伊豆国総社。 旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。、、、、、社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神である。 当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。 中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。 近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
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・・・・・・・・・・ 境内で縁起餅「福太郎」を食す。 参拝を済ませ、神社前で三島名物「うなぎ」(ウナギ一匹分がのった鰻重)を食べる。 しかし大失敗、福太郎が腹に残り、ウナギなかなか入らず、苦し~~い! この苦しさは東京まで続いた!! 最後は哀れな夫婦旅行となった!!!
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2023年1月22日 (日)

唐人お吉の町

昨日・今日、一泊二日で妻と伊豆下田に行ってきた。 昨日は爪木崎の水仙を見て、今日は下田の町歩き。



● 私が最初に伊豆に行ったのは、昭和35年(1960)、中学校の課外旅行である。 当時はまだ伊豆急は運行しておらず、建設中であった。 伊東駅から観光バスに揺られ、下田、石廊崎まで回った。 伊豆半島の道路は、現在のように整備されておらず、海岸沿いの曲がりくねった細い凸凹道を揺られて行った。 この時の記憶は、風が吹き付ける寒い石廊崎と、上下左右に揺れるひどいバス旅だったことぐらい。、、、、伊豆急の路線は翌年の昭和36年(1961)12月10日に全線が開業した。 以来、伊豆が好きになり、度々訪れている。 今回見に来た爪木崎に群生する水仙を見るのも二度目である。



● 特急「踊り子号」で東京駅から3時間弱、伊豆急の終着駅「伊豆急下田駅」は、静岡県内の鉄道駅では最も南に位置する。、、、、頭端式ホーム2面3線が、終着駅の雰囲気を演出し、いいね!

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● 下田駅から車で15分、爪木崎(つめきざき)に300万本の水仙が咲き誇る群生地がある。 本当に300万本あるのか、チョイト数えてみたくなるが、無理はせず!、、、、ところどころ、白いスイセンに混じって赤いアロエの花も咲いてる。 どうやら見ごろな時に訪れたようだ、“普段の行い”が良いのかな!

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● スイセンを見ながら岬の先へ行くと、無人の「爪木崎灯台」がある。 昭和12年(1937)に初点灯した高さ17m(海面からは38m)の灯台。、、、、灯台の先は、冷たそうな冬の海。 夕食の膳に出てきた、アワビ、金目鯛は、この海で生活していたのか?可哀そうに!

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●町歩きでは、高校の歴史で学んだ記憶はあるが、年代、登場人物、条約目など記憶が薄れた『黒船来航』時の、ゆかりの寺巡り。

・・・・・・・・・・ 「玉泉寺」(ぎょくせんじ)、、、、下田の町の中心からはチョイト外れた処にある、曹洞宗の寺院:玉泉寺。 山号は瑞龍山。 本尊は釈迦如来。 創建年代は不詳。、、、、幕末期にアメリカの総領事館として使用された寺で、初代総領事はハリス。 境内には「ハリス記念館」がある。、、、、【蛇足】年配の人なら知っている“ハリス・ガム”とは無関係!

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・・・・・・・・・・ 「了仙寺」、、、、寛永12年(1635)下田奉公今村正長によって創建された日蓮宗の寺。 嘉年7年(1854)日米和親条約が締結され、下田が開港、了仙寺はペリーと日本全権の交渉場所となり、日米和親条約下田追加条約が締結された。、、、、私が、昔、来た頃は境内に“秘宝館”のような施設があった。 当時は、大変興味深く学んだ思い出がある。 あれもこれも、日蓮の教えだったのか?

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・・・・・・・・・・ 「長楽寺」、、、、ペリーロードからチョイト脇の見晴らしの良さそうな小高い処にある大浦山長楽寺は、高野山真言宗の寺院。 創建は不詳だが、当初は薬師院長楽寺と号し、室町時代末期の弘治3年(1557)、真言宗の寺院として開山したそうだ。、、、、長楽寺は幕末の外交の舞台でもあり安政元年(1854)には権筒井政憲(旗本:目付、長崎奉行、南町奉行、大目付を歴任)・川路聖謨(旗本:佐渡奉行、普請奉行、公事方勘定奉行を歴任)とプチャーチン(ロシア使節海軍中将)との間で日露和親条約(日露通好条約)が締結され、安政2年(1855)には掛井戸対馬守等と米国使節アダムス中佐との間に日米和親条約批准書の交換が行われている。

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・・・・・・・・・・ 「宝福寺」、、、、宝福寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、創建年代は不明である。 元々は真言宗の寺であったが、永禄2年(1559)に浄土真宗の寺となった。 嘉永7年(1854)に下田奉行が設置された際、当寺が一時奉行所庁舎となっている。 文久3年(1863)、土佐藩の元藩主山内容堂が当寺に滞在していた。 勝海舟は門人の坂本龍馬が犯した脱藩の罪の許しを乞うため容堂に面会、会談後に龍馬の罪は許されることになった。 寺には容堂に海舟が謁見したと言われてる部屋が残されている。、、、、総領事ハリスに仕え、のちに非業の死を遂げた本名:斎藤きち(唐人お吉)の墓があり、寺の「唐人お吉記念館」にはお吉所縁の品々を所蔵している。

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● ペリー提督一行が了仙寺で日米和親条約付録下田条約締結のために行進したのがこの道「ペリーロード」。 かつて出船入船三千隻とうたわれた港町下田の花柳界の面影を残しており、平滑川(ひらなめがわ)沿いを石畳の道が続き、伊豆石やなまこ壁の家並み、柳並木が独特の風情を醸し出しています。 了仙寺のほか、日露和親条約締結場所である長楽寺、あじさい祭で有名な下田公園もこの地区に位置しており、特徴的なお店も多く、たくさんの観光客の皆さんが集まる下田の代表的な観光スポット。、、、、このペリーロードは平成6年度「静岡県都市景観賞最優秀賞」を受賞した。、、、、川に柳、情緒あるね! 横丁から芸者が姿を現しそうだ!

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・・・・・・・・・・ 近くには、唐人お吉が晩年に料亭を営んでいた、なまこ壁の建物「安直楼」がある。 現在は中に入ることはできないが、今も残る風情あふれる佇まいは、幕末の下田を感じさせてくれる。

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● 一夜のお宿「ホテル伊豆急」から眺めた白浜海岸、、、、綺麗な砂浜がいいね!

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