唐人お吉の町
昨日・今日、一泊二日で妻と伊豆下田に行ってきた。 昨日は爪木崎の水仙を見て、今日は下田の町歩き。
● 私が最初に伊豆に行ったのは、昭和35年(1960)、中学校の課外旅行である。 当時はまだ伊豆急は運行しておらず、建設中であった。 伊東駅から観光バスに揺られ、下田、石廊崎まで回った。 伊豆半島の道路は、現在のように整備されておらず、海岸沿いの曲がりくねった細い凸凹道を揺られて行った。 この時の記憶は、風が吹き付ける寒い石廊崎と、上下左右に揺れるひどいバス旅だったことぐらい。、、、、伊豆急の路線は翌年の昭和36年(1961)12月10日に全線が開業した。 以来、伊豆が好きになり、度々訪れている。 今回見に来た爪木崎に群生する水仙を見るのも二度目である。
● 特急「踊り子号」で東京駅から3時間弱、伊豆急の終着駅「伊豆急下田駅」は、静岡県内の鉄道駅では最も南に位置する。、、、、頭端式ホーム2面3線が、終着駅の雰囲気を演出し、いいね!
● 下田駅から車で15分、爪木崎(つめきざき)に300万本の水仙が咲き誇る群生地がある。 本当に300万本あるのか、チョイト数えてみたくなるが、無理はせず!、、、、ところどころ、白いスイセンに混じって赤いアロエの花も咲いてる。 どうやら見ごろな時に訪れたようだ、“普段の行い”が良いのかな!
● スイセンを見ながら岬の先へ行くと、無人の「爪木崎灯台」がある。 昭和12年(1937)に初点灯した高さ17m(海面からは38m)の灯台。、、、、灯台の先は、冷たそうな冬の海。 夕食の膳に出てきた、アワビ、金目鯛は、この海で生活していたのか?可哀そうに!
●町歩きでは、高校の歴史で学んだ記憶はあるが、年代、登場人物、条約目など記憶が薄れた『黒船来航』時の、ゆかりの寺巡り。
・・・・・・・・・・ 「玉泉寺」(ぎょくせんじ)、、、、下田の町の中心からはチョイト外れた処にある、曹洞宗の寺院:玉泉寺。 山号は瑞龍山。 本尊は釈迦如来。 創建年代は不詳。、、、、幕末期にアメリカの総領事館として使用された寺で、初代総領事はハリス。 境内には「ハリス記念館」がある。、、、、【蛇足】年配の人なら知っている“ハリス・ガム”とは無関係!
・・・・・・・・・・ 「了仙寺」、、、、寛永12年(1635)下田奉公今村正長によって創建された日蓮宗の寺。 嘉年7年(1854)日米和親条約が締結され、下田が開港、了仙寺はペリーと日本全権の交渉場所となり、日米和親条約下田追加条約が締結された。、、、、私が、昔、来た頃は境内に“秘宝館”のような施設があった。 当時は、大変興味深く学んだ思い出がある。 あれもこれも、日蓮の教えだったのか?
・・・・・・・・・・ 「長楽寺」、、、、ペリーロードからチョイト脇の見晴らしの良さそうな小高い処にある大浦山長楽寺は、高野山真言宗の寺院。 創建は不詳だが、当初は薬師院長楽寺と号し、室町時代末期の弘治3年(1557)、真言宗の寺院として開山したそうだ。、、、、長楽寺は幕末の外交の舞台でもあり安政元年(1854)には権筒井政憲(旗本:目付、長崎奉行、南町奉行、大目付を歴任)・川路聖謨(旗本:佐渡奉行、普請奉行、公事方勘定奉行を歴任)とプチャーチン(ロシア使節海軍中将)との間で日露和親条約(日露通好条約)が締結され、安政2年(1855)には掛井戸対馬守等と米国使節アダムス中佐との間に日米和親条約批准書の交換が行われている。
・・・・・・・・・・ 「宝福寺」、、、、宝福寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、創建年代は不明である。 元々は真言宗の寺であったが、永禄2年(1559)に浄土真宗の寺となった。 嘉永7年(1854)に下田奉行が設置された際、当寺が一時奉行所庁舎となっている。 文久3年(1863)、土佐藩の元藩主山内容堂が当寺に滞在していた。 勝海舟は門人の坂本龍馬が犯した脱藩の罪の許しを乞うため容堂に面会、会談後に龍馬の罪は許されることになった。 寺には容堂に海舟が謁見したと言われてる部屋が残されている。、、、、総領事ハリスに仕え、のちに非業の死を遂げた本名:斎藤きち(唐人お吉)の墓があり、寺の「唐人お吉記念館」にはお吉所縁の品々を所蔵している。
● ペリー提督一行が了仙寺で日米和親条約付録下田条約締結のために行進したのがこの道「ペリーロード」。 かつて出船入船三千隻とうたわれた港町下田の花柳界の面影を残しており、平滑川(ひらなめがわ)沿いを石畳の道が続き、伊豆石やなまこ壁の家並み、柳並木が独特の風情を醸し出しています。 了仙寺のほか、日露和親条約締結場所である長楽寺、あじさい祭で有名な下田公園もこの地区に位置しており、特徴的なお店も多く、たくさんの観光客の皆さんが集まる下田の代表的な観光スポット。、、、、このペリーロードは平成6年度「静岡県都市景観賞最優秀賞」を受賞した。、、、、川に柳、情緒あるね! 横丁から芸者が姿を現しそうだ!
・・・・・・・・・・ 近くには、唐人お吉が晩年に料亭を営んでいた、なまこ壁の建物「安直楼」がある。 現在は中に入ることはできないが、今も残る風情あふれる佇まいは、幕末の下田を感じさせてくれる。
● 一夜のお宿「ホテル伊豆急」から眺めた白浜海岸、、、、綺麗な砂浜がいいね!