蔵の街 栃木
朝晩は少々肌寒くなってきたが日中は秋晴れ。 夫婦で“蔵の街 栃木”を歩いて来た。 東武鉄道の浅草駅から特急で70分程で、東武日光線の栃木駅に到着。 行きは栃木駅の隣り新栃木駅で下車し、帰りは栃木駅から浅草へ戻る、1万6千歩の街歩き。
● 栃木駅で特急から普通に乗換え、一つ先の新栃木駅で下車。 新栃木駅は、日光線と宇都宮線が乗り入れ、宇都宮線の起点駅である。 昭和4年(1929)4月1日、日光線開通と同時に開業。 昭和6年(1931)に宇都宮線が開業。 駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の地上駅。、、、、日光線・宇都宮線の乗換駅で乗客も多いが、なぜかのどかな雰囲気が漂う駅。 駅前ロータリーに立って見回すが、飲食店、コンビニなどは無さそうだ、広い静かな駅前だ!
● 新栃木駅前から伸びる県道(新栃木停車場線)を700m程歩くと、日光例幣使街道の一部で、重要伝統的建造物群保存地区の「嘉右衛門町」がある。、、、、栃木市中心部は天正19年(1591)に戦国大名・皆川広照が、この地に築城したが、わずか19年で廃城となってしまい、城下町だったこの町はその後宿場町・商人町に変化した。 中心部の旧栃木町は日光例幣使道の宿場町として、また、江戸からの舟運により、物資の集散地として栄えた町となる。 重要伝統的建造物群保存地区には、栃木宿の北側、日光例幣使街道に沿って約700m、江戸後期から昭和初期にかけて造られた、土蔵造りの“見世蔵”と“木造真壁出桁造”の建物が残されてる。、、、、観光バスツアーの姿もチラホラ見えるが、オーバーツーリズムの心配は不要だ!
・・・・・・・・・・ 江戸時代創業の味噌屋「油伝味噌」、、、、自家製味噌の田楽を食することができるが、私たちが着いたのは営業時間前、残念だが田楽を食することはできなかった、妻がガッカリ!
・・・・・・・・・・ 江戸時代は畠山家の陣屋となっていた岡田家、現在は「岡田記念館」、、、、建物の劣化がひどく一生懸命補修工事中、屋根が歪んだ建物が倒壊しないか心配だ!
・・・・・・・・・・ 栃木で一番古い床屋、平成元年まで営業していたそうだ「岡田記念館 市村理髪館」、、、、店内全ての物が骨董品!
・・・・・・・・・・ 天保5年に建てられた日本では3番目に古い見世蔵(土蔵造りの技術を用いて造られた店舗兼住宅)の「大貫家」
・・・・・・・・・・ 昭和7年に建てられた洋風建築「舘野家」
● 伝統的建造物群保存地区からチョイトはずれた所に大正2年(1913)に建てられた「栃木病院」がある。 建物は木造2階建て、屋根の形式は寄棟、切妻、入母屋、ドーマや尖塔屋根などいろいろミックス、さらには日本建築の千鳥破風なども見られる、大正時代の洋風建築の特徴を出している。平成10年(1998)に国登録有形文化財に指定された。、、、、現在は医院の名を変え診療を続けているようだ。
● 栃木病院から西に歩くと栃木県立栃木高等学校がある。 学校は明治29年(1896)栃木県尋常中学校栃木分校として創立した。 ここには、3棟の国登録有形文化財がある。 3棟の内、2棟を見てきた。 1棟「記念館(御聖蹟)」は構内奥にあり、本日は何かの行事があり生徒の出入りも多くよそ者がウロウロすると怪しまれるので遠慮した。
・・・・・・・・・・ まずは正門脇に建つ「記念図書館(養正寮)」、、、、明治43年(1910)に東宮殿下(大正天皇)の来校を記念して、大正3年(1914)に建てられた建築物。 一階は図書室、二階は同窓会の集会室として使用されたが、昭和10年(1935)に階上の和室は「養正寮」と名付けられ、生徒の精神修養の場として、校長訓話、漢籍素読会などが行われた。 現在、一階は学習室、階上は囲碁将棋部の活動をはじめ、小集会場として活用されている。
・・・・・・・・・・ 記念図書館と対峙して建っているのは「講堂」、、、、明治43年(1910)に落成し、その美観は現在も当時の面影を残している。 平成10年(1998)に記念図書館(養正寮)とともに、文部省により文化財登録された。
● 開館1周年のモダンな栃木市立美術館と並んで、レトロな「栃木市立文学館」の建物がある。 文学館の建物は、大正10年(1921)に当時の栃木町役場庁舎として、堀井寅吉の設計で工事費87,452円04銭をかけて県庁跡地に建てられた。 建てられてから、平成26年(2014)まで約90年間にわたり町役場・市役所として使用されてきた。 建築当時の公共建築の特徴が残されていることなどが評価され、平成29年(2017)に市の有形文化財となった。、、、、現在は文学館として、令和4年に開館し、市ゆかりの作家である山本有三、吉屋信子、柴田トヨの3人を中心に、文学に関する展示や市史に足跡を遺した先人たちの紹介、旧栃木町役場庁舎に関する展示を行っている。、、、、建物の周囲は堀があり、澄んだ水が流れ、水鳥や鯉が悠々と泳いでいる。
● 巴波川(うずまがわ)沿いに、明治時代の豪商横山家の貴重な資料などを展示した「横山郷土館」に立ち寄る。、、、、横山家は店舗の右半分で麻問屋、左半分が銀行を営んでいました。 両袖切妻造と呼ばれる貴重な建物には、当時を偲ばせる帳場などが再現されています。 店舗兼住居、石蔵(麻蔵、文庫蔵)、裏庭の洋館は文化庁の登録有形文化財に登録されています。、、、、麻問屋や銀行を経営していた豪商の、貴重な資料、当時の小物など、たくさん展示されてるので、時間を忘れて楽しめる。 入館料の300円は安い!
● 市内には、御当地生まれの作家:山本有三に関連する施設も多く残されている。、、、、山本有三は、明治20年(1887)7月27日生まれ、昭和49年(1974)1月11日没。 大正から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家、政治家(貴族院議員~参議院議員)。 代表作には『路傍の石』、『女の一生』、『真実一路』などがある。、、、、呉服商の子として栃木市で生まれ、明治38年に東京に出て、正則英語学校、東京中学に通い、さらに東京府立一中、一高に入学、そして東京帝国大学文科大学独文学科に入る。 昭和11年(1936)には東京三鷹に住む。 昭和49年(1974)1月、国立熱海病院に入院し、1月11日肺炎による急性心不全を併発して死去。
・・・・・・・・・・ 山本有三の故郷である栃木市に平成9年(1997)に開館した「山本有三ふるさと記念館」 山本の遺品などを所蔵、展示している。 建物は明治初期の建築で、2階建ての2棟の見世蔵が南北に棟続きになって構成されている。 国登録有形文化財
・・・・・・・・・・ 市立文学館の南角に、「山本有三文学碑」がある。 この碑は読みにくいが、小説『路傍の石』の一節が刻まれている。
・・・・・・・・・・ 栃木市万町に、浄土宗の寺院の三級山天光院近龍寺がある。 近龍寺は案内板によると「当山は慶永18年(1421)良懐上人によって当初城内宿河原の創建され、其后天正16年(1588)に移された浄土宗の名刹で、中国の故事「鯉が三級の位に達すると龍になる」ことから三級山近龍寺と名付けられた。 近龍寺本堂は文化3年(1806)に建てられた。、、、、 境内には山本有三の墓があり、 1月11日には有三の一・一・一忌として墓前祭が行われてい。
● 巴波川(うずまがわ)岸に沿って栃木駅に向かう。 散歩の最後に、カトリック栃木教会に寄って見たが、昭和27年(1952)に献堂式が行われた聖堂は、扉が閉ざされ内部を拝見できず、残念!
● 栃木駅は、JR東日本両毛線と東武鉄道日光線の駅である。 明治21年(1888)5月22日、両毛鉄道の駅として開業し、明治30年(1897)1月1日に日本鉄道に譲渡された。 明治39年(1906)、日本鉄道国有化により官設鉄道に移管。 昭和4年(1929)4月1日、東武日光線の駅が開業。、、、、東武鉄道の栃木駅は、単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を有する高架駅。 かつてはJR東日本に駅業務を委託していたが、高架化完成後は自社で業務を行っている。、、、、駅は広くてモダンな建物、周りにはオシャレな店舗や飲食店、土産屋が増えてきたらしい。 “蔵の街 栃木”の表玄関として頑張っているようだ!