福島県

2024年6月16日 (日)

水郡線の旅

6月13日・14日の二日間、夫婦で水郡線沿線を旅してきた。 水郡線は茨木県の水戸から福島県の郡山まで、久慈川沿いを走るローカル線。 全線開通は昭和9年(1934)12月4日、全線約140㎞には途中駅43駅ある、水戸から郡山までの所要時間は通しで約3時間強。 沿線途中には袋田の滝があるが、それ以外は全国的な名所はない、山間部をのんびり走る1~4両編成の気動車に揺られ夫婦二人旅である。




● 13日11時、特急“ひたち”で水戸駅到着。 水戸駅2番線ホームの端から常陸大子行きに乗換える。 2両編成の列車には、乗客の姿もまばら。 “間違いなく これぞローカル線”感動する!

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● 水戸を出ると車窓には緑がいっぱい、久慈川も見える。、、、、車窓から撮った写真は『AGC(旧旭硝子)の熱線吸収ガラス』により、青みがかってしまう。 熱線吸収ガラスは、原料に熱線吸収成分を加え、グリーンやグレーに着色し温度上昇の原因となる赤外線を吸収するので、車内の温度が一定に保たれているそうだ。 日差しも眩しくなくて、いいね。 でも、折角の素晴らしい景色の写真がチョイト残念!

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● 12時30分、袋田駅(昭和2年開業)に到着。 降りたのは私達二人だけ! 袋田駅の1日平均乗車人員(令和4年度)は64人である。 駅前に停まってる「袋田の滝」行きのバスに乗るのも二人だけ! 

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● 駅から二人だけの貸し切りバス(?)で7分、「袋田の滝」に到着。 滝の入口周辺には数件のみやげ屋が店を開いてる。 観光客の姿も少ないがチラチラ見える。 皆さん自家用車で来たようだ、今の時代、列車に揺られてやって来るのは我が夫婦だけ!、、、、みやげ屋が並んでる、昭和の時代の観光地のようだ、いい雰囲気だ!

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・・・・・・・・・・ 滝に向かうトンネルの前で入場料300円を払い、“いざ滝へ”。 トンネルは昭和54年(1979)完成、長さ276m。

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・・・・・・・・・・ トンネルの途中には「恋人の聖地」モニュメントがある。 チョッピリ恥ずかしかったが、若いカップルが『記念の写真を撮りましょね!』と言ってくれた。

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・・・・・・・・・・ さらにトンネルを進むと国名勝「袋田の滝」の正面(第一観瀑台)に出た。 滝の大きさは、高さ120m、幅73m。
初めて見る滝の大きさにビックリ『スゲー、こんなにデカイとは思っていなかった!』、、、、滝の下流には「吊り橋」も見える

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・・・・・・・・・・ トンネルの一番奥にはエレベーターがあり、滝の上部が見える第二観瀑台へ上る。 袋田の滝の別名:四段の滝が見渡せる。 『紅葉シーズンになると、観光客で賑わうのも納得できるね!』

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● 今宵は、滝の近くの袋田温泉で露天風呂に入り、常陸牛の夕食を堪能。

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● 14日は宿の車で水郡線「常陸大子駅(ひたちだいごえき)」(袋田駅の隣り駅)まで送ってもう。、、、、「常陸大子駅」は、JR水郡線統括センターのある山間の大きな駅で、留置線含めて10線以上ある。 転車台も残っている。 駅は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅。 昭和2年(1927)3月10日、鉄道省の駅として開業した。 令和4年(2022)度の1日平均乗車人員は223人。

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・・・・・・・・・・ 駅前に静態保存されている「C12 187」は、昭和13年(1938)7月27日に日本車輛製造名古屋工場で製造され、九州各地で運用された後、昭和42年(1967)に水戸機関区に配属され、昭和45年(1970)まで使用された蒸気機関車。 黒く輝く車体はカッコいいね!

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● 只今時刻は9時10分、次の郡山行きの列車は10時45分、それまで大子の町歩き。、、、、駅前から延びる「駅前中央通り」と「本町通り」を歩いて見た。 大正・昭和の活気あった街並みには当時の雰囲気が残っている。

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・・・・・・・・・・ 通り沿いに建つ国登録有形文化財の建築、、、、旧樋口病院入院棟(昭和30年築)、旧大子銀行本店(大正6年築)、旧外池呉服店店舗(明治29年築)、大子カフェ店舗兼主屋・土蔵(大正5年築、大正元年築)

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・・・・・・・・・・ ひな祭りには、神社の参道にある百段階段に緋毛氈(ひもうせん)をかけ、多くの雛人形を置く1日限りのイベント『百段階段でひなまつり』で全国的に有名な「十二所神社」に参拝。、、、、神社は祭神として天神七代、地神五代の十二代十七神を祀り、当地の開拓の守護神として神亀4年(727)に鎮祭された。 慶長の始めに佐竹義宣公の寄進にて社殿を改築したが、明治43年、火災にて社殿・神宝を悉く焼失した。、、、、14日はこの6月で一番暑い日、まして大子町は全国でも一番暑い日(天気予報で発表35℃)であった。 そんな日に、100段の階段の上り下りは、年寄にはキツイ!

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● 大子の町歩きを終え、10時45分の列車で「常陸大子駅」を出発。 1両編成の郡山行きに乗り、再び久慈川沿いに、次なる「磐城石川駅」をめざす。 

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● 常陸大子駅を出て約1時間、茨木県から福島県に入り、磐城石川駅に到着。、、、、磐城石川駅は、昭和9年(1934)12月4日の開業。 単式ホーム1面1線(1番線)と島式ホーム1面2線(2・3番線)、合計2面3線のホームを持つ地上駅。、、、、令和4年(2022)度の1日平均乗車人員は446人と水郡線の駅では乗降客の多い方だ! だけど、私達と一緒に降りたのは数人程、乗った人はゼロ!、、、、駅前には何もない。 町には食堂もない。 有名な観光地もない。 なぜここに下車したか? 私が、駅から北東に約8㎞程行った「千五沢ダム」を見たかったからだ。、、、、それにしても何もない駅で、ダムへはタクシーで行くほかはなく、そのタクシーも駅前には停まっていない。 親切な駅長(?)が、タクシー会社に電話してくれた。

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● 磐城石川の町を抜け、「千五沢ダム(せんごさわだむ)」に到着。、、、、千五沢ダムは東北農政局により昭和50年(1975)に阿武隈水系北須川に建設されたかんがい専用ダムである。 しかし、当初予定したかんがい面積が半分に減少したため、ダムの貯水容量に大きな空き容量が生じる結果となった。 福島県はこの空き容量を洪水調節を行う治水容量として活用することとなり、洪水調節を行うための施設改修(洪水吐き改築、放流施設新設、管理設備改修等)を行なった。 ダムの諸元は、型式:中央コア型アースダム、ゲート:ゲートレス(自然調節方式)、堤高・堤頂長:43m・176.5m、総貯水容量:1300万m3、管理者:福島県、本体着工/完成年:2014/2024年、施工会社:清水建設・青木あすなろ建設・あおい。、、、、このダムは湖(母畑湖)に4本の洪水吐けが出て、水位が上がると洪水吐けの開口部から水が流れ、大雨などの非常時には洪水吐けの頂部を乗り越えた水か自然に流れ下るようにできている。、、、、小さなダムだが、珍しい形状のダムだ!、、、、(注:::以下の写真で、最初の1枚(航空写真)は現地のダム案内板に表示された写真)

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● ダムを見終え磐城石川駅に戻るタクシーの中で、妻から一言『このまま郡山の駅まで乗って行こう!』、、、、というわけで、水郡線の旅はここまで。

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2024年4月19日 (金)

会津の桜 2

旅の二日目、今日は旅行を計画した当初からの目的地である鶴ヶ城公園で花見をして、七日町の街歩きをする。

 

● 昨日「三春の滝桜」を見て、満開の桜は期待できそうもなく、せめて“散り始め”の桜であってほしいと思いつつ鶴ヶ城公園にやって来た。、、、、鶴ヶ城公園に入ると、天守閣周りの約1000本のソメイヨシノは全て葉桜。 私達の期待に反し花は散り、葉桜となってはチョイトガッカリ。 “鶴ヶ城と満開の桜”日本人の好きそうな被写体で、絵葉書もどきの写真を撮ろうと意気込んで来たが『コリャ、ダメだ!』 

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・・・・・・・・・・ 昨日、三春のタクシー運転手が言った『今年は咲くのが早かったですね』を思い出した。 公園内の立て看板には『鶴ヶ城さくらまつり 3/30~5/6』と書いてある、まだまだ開期中だ、虚しいね!

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・・・・・・・・・・ 桜は諦め城を見る。 鶴ヶ城は至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名した。 慶応4年(1868)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになった。 明治7年(1874)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されたが、昭和40年(1965)に鉄筋コンクリート造にて天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元された。 平成23年(2011)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えらた。
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● 鶴ヶ城から古い建物、レトロな建物、美味しい店、民芸品の店などが並ぶ、七日町(なのかまち)の街歩き。、、、、妻はもちろん見る・食べる・買う。 喫茶店ではケーキセット、味噌屋で田楽、漆器屋で置物。 私のリックはずっしりと重くなる。

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● “桜”を十分堪能した(?)会津旅行はココまで、会津若松駅から東京へ。

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2024年4月18日 (木)

会津の桜 1

3月29日の開花宣言を受けて、31日に隅田公園の桜を見に行ったがチョイト、ガッカリ、まだ早かった! 家に戻って妻と二人『やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たず』 時の勢いにまかせ、『東京の桜は飽きらっめて、福島の桜を見に行こう!』 翌日には、東京の桜に遅れること20日間、4月18日に鶴ヶ城公園の桜を見に行くことに決定する(夫婦二人の旅は意思決定も早い!) 急ぎ宿の予約と切符の手配も完了。、、、、旅の予約を済ませたら、今度は桜の開花が気に掛かり、夫婦で毎日『今日の鶴ヶ城公園の桜は〇分咲き』と報告し合う20日間。 4月10日を過ぎた頃には、既に“満開”の情報も入り、連日気になる一週間。

さらに気に掛かることが発生! 先週から私の体調に異変が、朝顔を洗うと鼻血ブー、トイレで気張ると鼻血ブー、風呂で湯船から出ると鼻血ブー、数日鼻血ブーが続いた。 『コリャ大病の予兆かも?』普通の人ならそう思うであろう。 私の場合、このような場面は20年ほど前から度々あり、その都度病院で鼻の中の血管を焼いてもらい、止血してきた。 今回もそうであろうとは判っていたが、旅先で鼻血ブーは他人の迷惑になるので、医者へ行ってきた。、、、、医者の診たては同じ『鼻の中に太い血管が出てるから、止血するよ!』 『おねがいします』 これにて一件落着! 安心して18、19の二日間、夫婦で会津鶴ヶ城の桜を見に行ってきた。




● 会津若松へは郡山で磐越西線に乗換えて約1時間で到着するが、郡山から磐越東線で二駅目:三春駅の近くに枝垂れ桜で有名な「三春の滝桜」があると知り、急遽寄って行くことにした。 三春駅で下車する。 

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・・・・・・・・・・ 三春駅から「三春の滝桜」までは、タクシーで15分ぐらい。 三春町の家々には、それぞれ各種の桜の木があるようで、どこの家も桜が咲いてる。 道路際にも桜の木、ハナモモの木もある。 春、真っ盛り!

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● 「三春の滝桜」に到着。、、、、駐車場にはツアー旅行のバスがズラリ!  臨時の売店もある。 しかし、駐車場の一角に立てられた看板を見ると、ナント、滝桜の開花状況は、“落花”となってる。 さらに『今年の観桜料の徴収は終了しました。 ご自由にお入りください。』、、、、滝桜は完全に散ってた。 樹齢1000年以上、高さ13.5m、根回り11.3mの桜の大木と、周囲の菜の花を見て諦める。 残念!、、、、ポスターにあった満開の滝桜で我慢しよう!

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・・・・・・・・・・ 花の無い滝桜にガッカリした私を慰めるように、タクシーの運転手が一言『郡山の枝垂れ桜番付では、東の横綱が滝桜で、西の横綱は“地蔵桜”です。 地蔵桜を見て行きますか? まだ、少し花が残っていると思いますよ』(地蔵桜は、郡山市にある樹齢400年の枝垂れ桜である) 再度来ることはないと思い、返事は『見て行きたいですね』、、、、地蔵桜は三春の滝桜の娘と言われてる枝垂れ桜で、樹齢は約400年、妖艶なピンクの花が特徴と言われてるそうだ。、、、、まだ咲いてた! 地蔵さまにも賽銭をはずみ手を合わせる。

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・・・・・・・・・・ 滝桜、地蔵桜を見たあとは、タクシーで郡山駅まで送ってもらう。 この間、運転手の話では、今年の桜の開花は例年に比べい早いそうだ。 さらに一言『喜多方の“日中線の枝垂れ桜並木”もいいですよ!』(後で、運命の一言となる)、、、、郡山駅から磐越西線で会津若松へ向かう。

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● 会津若松駅に到着すると、ホームの向かい側に数分後に出発する只見線が停まってる。 私の咄嗟の判断で、只見線に乗り喜多方へ行くことにした。 会津鶴ヶ城公園の桜は翌日にして、三春のタクシーの運転手が言った「日中線枝垂れ桜並木」を見に行くことに。 

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・・・・・・・・・・ 東京を出るときは予定していなかった喜多方に到着。 喜多方は10年ぐらい前に来たことがあり、今回は街歩きではなく、枝垂れ桜に徹する。

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・・・・・・・・・・ 「日中線枝垂れ桜並木」とは、昭和59年(1984)に廃線となった国鉄の日中線(栃木県今市~会津若松~喜多方~山形県米沢まで計画していた路線)跡に約3㎞にわたり、約1000本の枝垂れ桜咲き誇る並木道。 日本最大級の枝垂れ桜並木!、、、、喜多方駅から400m程歩くと並木道が始まる。 観光客も少なく、線路跡は平坦で舗装してあり歩きやすい。 枝垂れ桜の花びらが舞う3kmの並木を自称:我が家の吉永小百合と歩いてきた。 3kmの道は長いが、二人で満足できた花見となった。

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● 日中線の枝垂れ桜並木を歩き疲れたあとは、会津の奥座敷:東山温泉でのんびり、ゆっくり、温泉三昧。

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2023年6月29日 (木)

福島の旅2

飯坂温泉の夜は静かに熟睡し、今朝は露店風呂でサッパリし、のんびり朝食し、言うことなし! 旅は二日目となった。 今日の目標は、摺上川(すりかみがわ)の上流に位置する摺上川ダムを見に行くこと。 伊達郡桑折町にある旧伊達郡役所の建物を見に行くことである。



● 宿から車で20分、摺上川を遡り、ダムサイトまでやってきた。 私達夫婦以外は、訪れる観光客はいない。 インフォメーションセンターの職員と、公園の芝刈りをする人だけだ! 堤頂に立つと鳥の声が聞えるだけ!、、、、「摺上川ダム」は、以前私が勤めていたゼネコンの仲間が造ったダム(私は工事に参加していない) 飯坂温泉に行くと決めた時、“摺上川”の名を見つけ、なんとなく昔の仲間に遭えるような気持でやって来た! もちろん、知る人が居るはずはないが、20年・30年前のゼネコン勤めを思い出しチョッピリ感傷的な気分。、、、、ダムの諸元は、河川名:阿武隈川水系摺上川、ダム形式:中央コア型ロックフィルダム、ゲート:オリフィスローラゲート×2門/ジェットフローゲート×1門、堤高・堤頂長:105m・718.6m、総貯水容量:1億5300万m3、管理者:国土交通省、本体着工/完成年:1994/2006年、施工会社:飛島建設+大林組、総事業費:1953億円、、、、貯水量は東北で4番目の規模。 福島市をはじめとする3市3町の飲み水など生活に必要な水道用水を供給しているそうだ。

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● ダムのあとは、再び福島駅に出て、
朝ドラ「エール」のモデルになった「古関裕而記念館」へ行く、、、、「長崎の鐘」「オリンピックマーチ」「とんがり帽子」や「栄冠は君に輝く」など、昭和を彩る名曲を生んだ作曲家:古関裕而の功績をたどる記念館です。 古関裕而のゆかりの品々や愛用のハモンドオルガン等を展示し、昭和63年(1988)にオープンした。 建物は“とんがり帽子”をイメージした外観が特徴らしい。、、、、楽器を使うことなく曲想を練り、頭に湧き上がるメロディーを五線譜に書きとっていたり、忙しい時は3つ並べた机で別々の曲を並行して作曲したそうだ。 こうして「君の名は」「高原列車は行く」などの多くの名曲が誕生したとのこと。

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● 古関裕而記念館の近くから桑折町方面に行くバスに乗り、「旧伊達郡役所」の建物を見に行く。、、、、旧伊達郡役所は、令和3年と令和4年の福島県沖地震により大きな被害を受け、令和4年4月から災害復旧保存修理工事が行われた。 昨年末に修理も完了しリニューアルオープンした国指定重要文化財である。、、、、総二階建で、塔屋を頂く大規模な疑洋風様式による近代役所建築。 明治16年(1883)に建てられた建物。 建築当初その威容を示していた塔屋は振動が大きい理由で明治20年解体撤去されていたが、昭和54年の工事によって塔屋が復元された。 基礎は切石を積み、北海道および東北地方の重要建造物と同様に、ベランダを張り出したペンキ塗下見板壁になっています。 正面は総二階建、中央塔屋を設け、軒は化粧垂木様飾りに円形刳り蛇腹、窓はすべてガラス入りの上げ下げ窓と洋風を模した建物。 その中で宿直室などいくつか和風を取り入れた「擬洋風建物」となっている。、、、、桑折町を南北に貫く旧街道の正面にデンと構える建物は町のシンボルであること、間違いなし!

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・・・・・・・・・・ 【チョイト雑談】 “桑折町”を“こおりまち”と読めた人はエライ! 私は読めなかったが、福島出身の私の妻は知ってた。、、、、“桑折”の語源は“郡(こおり)”で、奈良時代の郡衙(ぐんが=郡司が政務を執った役所)があった村落を意味し、全国に多く見られる地名。 “郡”が“桑折”になったのは、この地方は養蚕が盛んで、桑畑が多くあったことから改められたと言われてるそうだ。、、、、現在は「献上桃の郷」として知名度をアップしてる。



・・・・・・・・・・伝来寺・大安寺など歴史ある寺にも立ち寄り、駅に向かう

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● JR東北本線の「桑折駅」から、福島駅へ、そして東京へ。、、、、桑折駅は、明治20年(1887)12月15日に開業。 伊達郡内の駅では最も早く開業した。 単式ホーム2面2線の地上駅である。 かつては単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅であったが、中線は横取線となったため、フェンスで閉鎖されている。互いのホームは跨線橋で連絡している。 1番線ホームに煉瓦造りのランプ小屋(?)のような建物がある。

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2023年6月28日 (水)

福島の旅1

28日から一泊2日で、妻と福島へ行ってきた。 一日目は、阿武隈急行線と福島交通飯坂線の完全乗車を目指し、飯坂温泉に泊まり、二日目は飯坂温泉から摺上川を上って摺上川ダムを見て、福島へ戻り古関裕而記念館、桑折町の旧伊達郡役所を見てきた。 梅雨時の蒸し暑い中、チョイト通り雨にも遭いながらの旅である。、、、、まずは、旅の一日目



● 10時、福島駅到着、、、、冷え冷えの新幹線から、蒸し蒸しのホームに立つ、旅の始まり

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阿武隈急行線は第三セクター阿武隈急行が所有・運営する、福島(福島県)から槻木(つきのき、宮城県)までの24駅、54.9kmの交流:単線である。 国鉄時代は仙台方面から槻木までは東北本線、槻木から丸森までは丸森線として運行していた。 昭和63年(1988)丸森から福島まで延伸工事が完了し、第三セクターとなっていた阿武隈急行線が全面開通した。、、、、福島交通飯坂線は、福島駅から飯坂温泉駅までの12駅、9.2kmの直流:単線である。 温泉地への足として、大正13年(1924)開業。、、、、阿武隈急行線と福島交通飯坂線は、資本・会社系列など無関係の別会社、福島駅の券売機は別々、改札は共同利用、JR在来線隣りの島式ホームをそれぞれの線で片面ずつ使用。、、、、今回、私の旅の目的の一つは、廃止、バス転換がささやかれる前に、この両線の完全乗車にある。

・・・・・・・・・・ 両線共用の福島駅

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・・・・・・・・・・ まずは、阿武隈川に沿って走る阿武隈急行で槻木駅(つきのき)を目指す。 途中、大泉駅で下車。 また、中間の簗川駅では電車の乗り換えがあり。 福島から約1時間で、東北本線槻木駅に到着、阿武隈急行線の完全乗車達成!、、、、槻木駅から福島駅までJRで戻る。

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・・・・・・・・・・ 次は飯坂線、こちらは、車内に“飯坂温泉”の暖簾がさがる電車に乗って、約30分で福島駅から飯坂温泉駅に到着。 楽々、楽勝の完全乗車。、、、、今日は飯坂温泉で疲れを癒す!

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● 阿武隈急行に乗って大泉駅で下車したのは、チョイト寄りたいところがあった。 駅の近くにある国登録の重要文化財「旧亀岡家住宅」が見たかったのだ!、、、、この建物は、明治37年(1904)頃には完成していたそうで、もとは桑折町伊達崎にあったが、平成7年(1995)3月に現在地(保原総合公園)に移築復原された。 施主の亀岡正元は蚕種製造で財をなした豪農で、後に県会議員や郡会議員を務めるなど政治家としても活躍している。 この建物も正元の住居として建築されたが、社交や集会の場も兼ねていたと思われる。 もとは約4,600平方メートルの敷地に土蔵などが建ち並ぶ広大な屋敷であったが、今は主屋の一部のみが移築されている。 建物は座敷部と居住部からなる。座敷部は、桁行17.7m、梁間12.3mの木造二階建。正面中央に塔屋がある。居住部は桁行14.9m、梁間12.5mの木造平屋建で、土間と板間の炊事場と、井戸と石敷きの洗場を持つ台所がある。 内部は、一部に洋室を設けたりガラス障子を多用するなど洋風技法を採用するもの大部分は和風の座敷からなり、洋風の外観とは対照的な造りとなっている。 外から見ると洋風、内部は和風の、美しい、面白い、ハイカラな建物だ!

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● 飯坂温泉駅の前には阿武隈川水系摺上川(すりかみがわ)が流れてる、そこに架かる「十綱橋(とつなばし)」はわが国現存最古級の鋼製アーチ橋で国の有形文化財である。 スパン長40mの2ヒンジ鋼製アーチの両岸側にI形鋼桁を取付け、全長52mとする。 山形鋼を組合せたブレースドリブアーチと垂直材からなる繊細な外観が特徴。 大正4年(1915)完成。、、、、温泉街を代表するランドマークだ! その昔、この橋の上で記念写真を撮った新婚カップルも多かったであろう!

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・・・・・・・・・・ 飯坂温泉の街は、駅前から始まっており、チョイト歩くと、大きな共同浴場がある。 1000年を越える
歴史の「波来湯(はこゆ)」に「鯖湖湯(さばこゆ)」、入浴したかった、残念!

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● これまた街のシンボル、土蔵造りの「なかむらや旅館」は国登録の有形文化財。、、、、なかむらや旅館は飯坂温泉発祥の地、湯沢地区にあり「鯖湖湯」に近い。 江戸末期建築の「江戸館」、明治時代中期建築の「明治館」の2棟からなり、白壁土蔵造りの木造三階建てである。 ここにも泊まってみたいもの!

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● まだまだあります街のシンボル「旧堀切邸」、、、、旧堀切邸は、江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家で、1775(安永4)年建築の県内で現存する最大で最古の土蔵「十間蔵」や近代和風住宅の主屋など、歴史的価値の高い建物が現存しています。 主屋の他にも、「新蔵」「中の蔵」「道具蔵」などがある。、、、、温泉街のちゅうしんに位置し、訪れる人も多そうだ!

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● 旧堀切邸を拝見してると、ものすごい雨。 アリャコリャ困った、これから今宵のお宿に行かなければならない。 電話し、迎えに来てもらう・・・・・将棋の名人戦が行われた宿だった、『一晩お世話になります!』

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