富山県

2024年9月13日 (金)

高岡旅行 2

13日は雨晴温泉で御目覚め。 早朝の露天風呂で、“今日も頑張るぞ!”、、、、今日の目標は、瑞龍寺とともに“越中高岡三寺”を構成する、国泰寺と“伏木”の勝興寺への参拝。 さらに、北前船の寄港地“伏木”の貴重な建物を見学。 最後は高岡の千本格子の家並みである金屋町を歩いてみる。



● 高岡市と氷見市の境付近に位置する国泰寺は、雨晴温泉の近くではあるがバスなどの公共交通機関が無く、宿からタクシーで行くことにした。 山の静寂に包まれた国泰寺(こくたいじ)は、臨済宗国泰寺派の大本山である。、、、、国泰寺は、永仁2年(1296)に立てられた草庵に始まるとされる。 その後、種々の歴史があったが、明治の初め、全国に広がった廃仏毀釈の嵐は国泰寺にも広がり、寺は荒廃した。 窮状を直に見た山岡鉄舟は、再興を願い自らの揮毫で広く浄財を集め、寺を復興させた。、、、、三重塔、日本一の大きさを誇る石庭など見るべきものも多い。 しかし、今正月の地震による、伽藍の損傷、白壁の崩落や瓦の落下、墓石や灯籠の倒壊等、多大な被害に見舞われた。 方丈などの内部は修復工事中で、主な建物を外から見てきた。 チョイと残念だが、寺の再興を願うばかりなり! 
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● 高岡市を流れる小矢部川の河口に“伏木(ふしき)”の町がある。 その伏木の高台に浄土真宗本願寺派の寺院、雲龍山勝興寺(しょうこうじ)がある。、、、、勝興寺の起こりは文明3年(1471)の蓮如が越中砺波郡に創建した土山御坊に始まるが、現在の伏木に築かれたのは、天正13年(1584)である。 佐々成政が富山の役で敗退した後、一帯は前田利家が領し、1618年には前田利常により25石の寺領が加増されるなど、江戸時代にかけて加賀藩前田家の庇護を受けて境内が整備された。、、、、寺の敷地は土塁・空濠で囲まれており、越中の国府跡と言われてる。 境内は東を正面とし、総門、唐門を入った敷地南寄りに大規模な本堂が建ち、北寄りには大広間、書院、台所など寺僧の居住・接客用の建物群が軒を列ねる。 近世建立の堂舎群がまとまって残り、近世寺院の景観を残す点に価値が認められる。 建造物は、本堂と大広間・式台が国宝、唐門や経堂など十棟が重要文化財に指定されている。、、、、建造物の文化財が多く大きな建物だが、この猛暑では建物の中までサウナ状態、一通り見学すると汗びっしょり、国宝の良さを知るよりも、一風呂浴びた感じ! 今度来るときは雪の積もった冷蔵庫状態の時に来てみたい!
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● 勝興寺から300m程歩くと、高台に「高岡市伏木気象資料館」がある。 ここは、かつて越中国守大伴家持が住んでいた館のあったところらしい。、、、、明治10年(1887)、北前船の有力廻船問屋であった能登屋藤井能三氏が岩崎彌太郎と約束して設置した伏木港の灯台兼測候所が初代のもので伏木港のすぐ近くにあった。 その後2度移転し、明治末期に現在の地に移転した。 現存する建物は明治42年(1909)に建てられた洋風木造建築で、旧伏木測候所である。 鉄筋コンクリート造3階建ての建物は、昭和13年(1938)建築の測風塔。 2棟とも国の重要文化財。、、、、こちらも、正月の地震で被災し、内部の壁には亀裂が入っている。 修復予算が付き次第、修理したいそうだ!
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● こちらも高台にある「伏木北前船資料館」、江戸時代から廻船問屋を営んできた旧秋元家の邸宅である。 屋敷の部屋数は全部で16室。 江戸時代に建てられた土蔵には、屋根の上から港への船の出入りを見張る望楼が設けられている。、、、、狭い急な階段を上り望楼から伏木の町を眺めてきた!(小泉元首相も上ったそうだ!)
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高岡商工会議所伏木支所の建物は明治43年(1910)に建てられた。 土蔵造りの洋風建物。 こちらは正月の地震で大きく被災し、『要注意』の貼紙がある。 閉鎖されてる。 修復可能か?不可能か?
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● 伏木を歩いた後は市内中央に戻り、高岡の地場産業の基礎を築いた鋳物発祥の地「金屋町(かなやまち)」を歩いてきた。、、、、「高岡市金屋町伝統的建造物群保存地区」として、平成24年に国から選定された。 400年の伝統が息づく金屋町は、昔の面影を“千本格子”で残している。 風情ある石畳に、千本格子の家が軒を連ね、いいね! 鋳物の町は、暑い熱い!
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● 古き伝統の残る町“高岡”の夫婦二人旅はここまで! 記念に仏壇の“おりん”を買ってきた。 チン~~~~~

2024年9月12日 (木)

高岡旅行 1

12日から1泊2日で、富山県高岡市へ夫婦で行ってきた。 二日間で、万葉線全線乗車と沿線観光、高岡市内三ヵ所の重要伝統的建造物群保存地区巡り、市内三ヵ所の大寺院参拝、雨晴温泉泊りを、猛暑の下で旅してきた。



● 7時20分東京発の北陸新幹線に乗車し、9時50分新高岡駅に到着。 二日間の夫婦旅の始まり。、、、、新高岡駅は在来線の高岡駅からは約1.6㎞南に街の中心からはずれた所にある。 駅の外は残暑の続きで、暑い、暑い! 汗が噴き出る!
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● 新高岡駅と高岡駅の中間あたりに、曹洞宗の仏教寺院、瑞龍寺(ずいりゅうじ)がある。 山号は高岡山(こうこうざん)。 本尊は釈迦如来。 瑞龍寺の開基は前田藩3代目当主前田利常。 高岡城を築城してこの地で亡くなった前田家2代目当主、前田利長を弔うために建立された。、、、、仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、平成9年(1997)に富山県初の国宝に指定されている。 昭和60年(1985)から、総工費約23億円を掛けて大規模な修理(昭和・平成の大修理)に着工し、平成8年(1996)までの約10年をかけて完了した。、、、、暑さが影響してるのか?観光客も少なく、整備された広くて大きな境内を、じっくり拝見し、感動!
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万葉線は高岡駅から終点の越ノ潟まで全線25駅(12.9㎞)を約45分程で運行する、万葉線株式会社(第三セクター)の高岡市内の路面電車である。 数人の乗客と共に高岡駅から乗車し、途中からは私達夫婦の貸し切り状態で終点越ノ潟まで完全乗車。 今回の旅の目的の一つである“万葉線全線乗車”を達成する。、、、、万葉線の開業は越中鉄道による、昭和5年(1930)10月12日、西越ノ潟駅(現存せず)~新湊東口駅(現:東新湊駅)間1.2 ㎞の開業に始まる。 その後、富山地方鉄道、加越能鉄道をへて現在の万葉線株式会社の所有となった。 路線も高岡駅まで延伸した。 車両は超低床構造の2車体連接車(アイトラ))で主に運行してる。 、、、、「万葉線」の名は、かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が、『万葉集』の編集をはじめ、数多くの歌を残したことにちなんで、現在の万葉線(当時は高岡軌道線・新湊港線 と呼称)を加越能鉄道が経営していた時代の昭和55年(1980)に「万葉線」という愛称が付けられた。、、、、乗った気分は、東京の都電荒川線と宇都宮のLRTを足して2で割ったような印象だった。 満足!

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・・・・・・・・・・ 終点の越ノ潟駅は富山湾に面しその先は富山県営渡船発着場
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・・・・・・・・・・ 沿線の広場の一画に、昭和25年(1950)製造(日立製作所製)、平成24年(2012)までの62年間にわたり主力車両であった、「デ5022号車」が展示されてる。
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● 万葉線の終点、越ノ潟の近く、富山湾に面して架けられた「新湊大橋」がある。 新湊大橋は日本海側最大の斜張橋で、上層は車道、下層は歩行者通路の2層構造になっている。 主塔の高さ:127m、海面から橋桁までの高さ約47m、総工費は約494億円で平成24年に開通した。
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・・・・・・・・・・ 新湊大橋の近くには、商船学校の練習船として誕生した帆船海王丸が停泊してる。
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● 万葉線の吉久(よしひさ)駅の近くに、「高岡市吉久重要伝統的建造物保存地区」がある。 伝統的建造物(建築物)50件、伝統的建造物(工作物)4件、環境物件4件が指定対象である。、、、、県の案内によると、『江戸時代前期の加賀藩最大の年貢米等を収めた米蔵(御蔵)設置に伴い成立し、農業を営みつつ、御蔵の業務を兼業する住民により発展した在郷町。 御蔵が廃止された明治以降、伏木で米穀商や倉庫業に進出した有力町民が現在の町並みを整備した。 吉久御蔵を中核として形成された江戸後期の地割を良好に残しつつ、明治以降に米穀商を中心に整えた町並みを継承している。 江戸後期から明治期に建てられた当地域独特の農家風の間取や造りを残した町屋建築が良好に保存されている。』、、、、飲食店・土産屋などもなく、道幅は狭く、保存地区が小規模であり、チョットした散歩気分で歩ける場所だ。 通り雨も上がり濡れた道に、細かい格子の並んだ昔ながらの家並みの雰囲気を味わいつつ、散策できた。
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● 2ヵ所目の伝統的建造物保存地区は、万葉線の片原町駅の近くにある「高岡市山町筋伝統的建造物群保存地区」、、、、こちらは県の案内によると、『高岡城が廃城になり、衰退した城下町の再興のため、加賀藩3代藩主前田利常は元和6年(1620)に町人の転出禁止の布告を発し、商業都市高岡が発足した。この山町筋は再興された高岡を通る北陸道に沿って形成され、商業の中心地として栄えた。明治33年(1900)6月の大火で市域の6割が焼失し、山町筋も大被害を被った。その後、防災性能の向上のため、明治32年に発布された「建築制限令」に従い、土蔵造りの町屋群として再興し、現在の姿に至っている。保存地区は、東西約600m、南北90m、面積5.5haで、建物周囲を不燃材で覆う構造、すなわち土蔵造りの町家に特徴がある。土蔵造りの町屋は2階建て、切り妻造り、平入り、瓦葺きで軒裏を漆喰で塗り込める。保存計画では、土蔵造りの町屋等の建築物を92件、防火壁等の工作物を12件、伝統的建造物に選定し保存の措置を講じている。』、、、、関東の人には、埼玉県の川越の街をチョイト小さくした町と言えばイメージできそうだ! 高岡も川越も、火災で強くなった町!
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● 奈良、鎌倉につぐ日本3大仏に数えられる「高岡大仏」は、伝統の銅器製造技術の粋を集め、明治40年(1907)から26年の歳月をかけて作られたもの。 総高16m、重量65tというスケールの大きさは圧巻。 日本一の美男と呼ばれる大仏(阿弥陀如来坐像)は、高岡の象徴として市民に愛されているらしい。、、、、高岡駅の近く、民家が建ち並ぶ裏通りに大仏は鎮座している。 拝観料も撮らず、道行く人の健康を見守っているようだ!
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● 高岡駅からJR氷見線に乗り、宿のある「雨晴駅(あまはらしえき)」へ向かう。、、、、晴れた日には富山湾越しに立山連峰の3,000m級の山々を望むことができ、景勝地として人気がある「雨晴海岸(あまはらしかいがん)」が駅の近くにある。 「雨晴駅」は平成30年頃に、青春18きっぷのテーマ駅に選ばれ、駅からの風景がポスターやチラシに用いられた。、、、、ホームの前に富山湾が広がるローカル駅。 下車したのは、私達夫婦を含めて数名だった。 最高の景色!
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● 宿は駅前の山の上にある雨晴温泉のホテル。 海を見下ろす露天風呂につかり、海鮮の美味を味わい、猛暑の疲れを癒し、Good Night!
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