奈良県

2025年9月27日 (土)

500棟の伝統建築

今回の旅の予定は、一日目に長谷寺へ、二日目に橿原神宮と神武天皇陵へ行くことに決めていた。 そのため、宿泊先に橿原神宮駅前のホテルを予約しておいた。 しかし昨日、長谷寺と橿原神宮に参拝したので、二日目の今日は時間に余裕ができ妻と相談して、畝傍御陵前駅から神武天皇陵、綏靖天皇陵を見て、重要伝統的建造物群保存地区の今井町を歩き、大和八木駅から大阪経由(妻がグリコの看板を見たい!)で東京へ帰ることにした。



● 宿泊した橿原神宮前駅の北隣にある、近鉄の畝傍御陵前駅(うねびごりょうまええき)から今日の旅は始まる。、、、、、畝傍御陵前駅は、近鉄橿原線の駅で、大正12年(1923)3月21日に大阪電気軌道畝傍線(現在の橿原線)の平端~橿原神宮前間の開通時に「畝火山駅(うねびやまえき)」として開業した。 大正13年(1924)には、一字違いの「畝傍山駅(うねびやまえき)」に改称。 昭和12年(1937)には「神武御陵前駅」に改称。 昭和14年(1939)には、駅を現在地に移動し「畝傍御陵前駅」と改称した。 『開業から現在まで4回、名を変えてご奉公』 駅名のごとく、畝傍山が駅の正面に見え、その裾に神武天皇陵(御陵)がある。 現駅舎は橿原神宮前駅に似た大和棟風の重厚なデザインだ!
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● 国の創始者である神武天皇の御陵は、畝傍山の東側の森に位置する、即位したとされる橿原神宮の北隣である。 畝傍御陵前駅から500m程歩くと、宮内庁が管理する御料の入り口(参道)がある。 参道は緩やかに右カーブし、曲がると正面に拝所が見える。 参道両側は高い木立に囲まれ、神聖な空気が漂う中を拝所に進む。、、、、、神武天皇陵の陵(みささぎ)の名は「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」で、遺跡名・俗称は「四条ミサンザイ」と呼ぶそうだ。 陵の形式は円丘。、、、、、神武天皇がこの地に生まれ、ここ四条ミサンザイに葬られているかは、確たる証拠もないらしい。 中世には陵墓の位置はわからなくなっていたそうだ。 江戸時代になり、水戸光圀が「大日本史」の編纂を始めた頃に幕府も天皇陵を立派にすることで幕府権威をより一層高めようとして、元禄時代に陵墓の調査をし、歴代の天皇の墓を決めて修理する事業が行われた。 その時に神武天皇陵に治定されたのは、畝傍山から東北へ約700 mの所にあった小さな円墳であった(現在は第2代綏靖天皇陵に治定されている)。 しかし畝傍山からいかにも遠く、山上ではなく平地にあるため、もう少し畝傍山に少し近い「四条ミサンザイ」という小さな塚を神武天皇陵としたという説がある。 神話の時代のことで、私には真実が何かは別にして、神武天皇の実在とこの地が天皇陵であったことを信じ、崇敬し拝むこと自体に意味があると思われる。、、、、、拝所の脇に管理事務所のような建物があるが、お守り、神武天皇饅頭などの土産物は売ってない。 飲料水の自販機も無し、「さすが宮内庁!」
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● 神武天皇陵の北側徒歩10分程で、第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)の陵墓がある。 こちらも、鬱蒼とした樹木に囲まれているが、神武天皇御陵と違い訪れる方も少ないようだ。 御陵は約30mの円墳状と推測され宮内庁が管理してる。 陵の名は、桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)です。 天皇名、陵名ともに難読だ、私には読めない、書けない、情けない!
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● 奈良県橿原市の中央(近鉄:八木西口駅の南西)に「
今井町(いまいちょう)」がある。 今井町は、戦国時代天文年間(1532~1555)この地に一向宗の門徒が自衛上武力を養い、濠をめぐらせ、御坊(称念寺)を中心とした町づくりをしたことに始まる。 江戸時代には、東西約600m、南北約310m、戸数1,100軒、人口約4000人強の町に成長した。 現在も今井町は1丁目から4丁目まであり、1,500棟程の建物があり、そのうち約500棟が江戸時代以来の伝統様式による建物が残っている。 伝統的建造物が全国で最も多い地区となっており、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 また、国の重要文化財が9件、県指定文化財が3件、市指定文化財が5件あり、平成29年(2017)に日本遺産に認定された。

・・・・・・・・・・ 神武天皇陵から歩いて今井町に来ると、町の入口に「今井まちなみ交流センター:華甍」がある。 ここで、情報を仕入れてから町歩きすることにした。 センターでは、案内の女性が親切に『今日、内部を見学できる建物は、こちらとこちら、さらにこちらも』と、地図に10か所ほどマークして教えてくれた。 ありがとう!、、、、、センターの建物は、明治36年(1903)高市郡教育博物館として建てられ、昭和4年から今井町役場として使用されていた。 現在は資料館として公開されている。
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・・・・・・・・・・ 今井町は堀(環濠)に囲まれた中に、道が格子状に作られているが、
敵の侵入を防ぐため堀の外からは見通せないように、道の一部を屈折させている。 道幅は狭く、現在も一車線の道路である。
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・・・・・・・・・・ どこの家も重要文化財に見えてしまう今井町の住宅。 どこの家も、愛情込めて皆さん住んでます、商売もしてます。
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・・・・・・・・・・ 称念寺は、浄土真宗本願寺派に属し、今井御坊とも南之御堂とも呼ばれている。 現在の今井町は、この寺の境内地を中心として発達した武装宗教都市:寺内町である。 寺の草創は室町末期の天文年間織田信長が誕生したあたりで、本願寺の一家衆今井兵部卿豊寿がここに本願寺の道場を建てたのに始まる。、、、、、称念寺の本堂(重要文化財)は、入母屋造・本瓦葺・向拝付で浄土真宗初期の建築様式を残している。 創建年代は不明だが寛文11年(1671)に修理された記録が残っており、江戸時代初期の建立と推定される。 東を正面とし、桁行20m、梁間21m。 表門(山門)は多武峰談山神社(妙楽寺)より移築された門である。 廃仏毀釈の折、年代ははっきりしないが、明治2年から9年頃である。それ以前は長屋門であったと言われている。 山門脇の太鼓楼は弘化2年(1845)の建築。
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● 今井町を歩き回り、食事も済ませて『イザ・大阪へ!』、、、、、近鉄「大和八木駅」まで歩き疲れて、大阪難波までは特急で30分。

・・・・・・・・・・ 道頓堀は凄い人・人・人  グリコの看板を見てると、聞こえる会話は中国語、韓国語、英語、ドイツ語、解らん言葉!
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・・・・・・・・・・ 人込みを避けたつもりが法善寺  水掛地蔵に手を合わせ『長生きできますように! ついでに宝くじ一等当選もよろしく!!』
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2025年9月26日 (金)

60年ぶりに長谷寺へ

50年程前、結婚するころに妻に、私の好きな寺の一つである“奈良の長谷寺”へ連れて行く約束をしていた。 今回、長い猛暑日が終わったので、我慢していた旅の虫が騒がしくなり、急遽一週間前、『長谷寺に行こう!』と妻に言うと、もちろんOKの返事。 行先は長谷寺と、私が行ってみたかった橿原神宮・神武天皇陵の3か所を予定し、26・27日の一泊二日旅をしてきた。 
私が長谷寺に参ったのは60年ほど前、建築学科の学生の頃、京都・奈良の寺社巡り、遺跡巡りをしていて、その旅の一つで室生寺、長谷寺、談山神社などを歩き、長谷寺では長い登廊、京都清水寺に似た本堂の舞台、本堂から見る五重塔などの美しさに魅せられた。 今回は、学生の頃を思い出しながら、60年ぶりの参拝が実現した。(妻は初めての参拝)



● 朝7時発の新幹線に乗り、名古屋からは難波行の近鉄に乗り換え、10時45分真言宗豊山派総本山がある長谷寺駅に到着。 乗降する人は数人と少なく、無人の改札を出ると、駅前には店は無し、長谷寺への案内図があるのみ。 昭和58年(1983)頃は、一日の乗降客は5,900人程度であったが、現在は一日700人程らしい。 総本山に参る人の多くは、電車から車に変わり駅も寂れてしまったようだ。、、、、、長谷寺駅は昭和4年(1929)10月27日の参宮急行電鉄の桜井~長谷寺間開通と同時に開業。 翌年、昭和5年(1930)2月21日には長谷寺~榛原間が開通した。 昭和16年(1941)、大阪電気軌道との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる。 昭和19年(1944)には会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。 相対式2面2線の地上駅。 駅は山の中腹にあり、山裾に流れる大和川沿いの民家・国道に向かって急な坂をくだるようになっている。 坂の下りもきついが上りはモットきつい! 年寄殺しの坂だ!
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● 駅から坂を下り、大和川を越えると、長谷寺への参道である“旧初瀬街道”がある。 歩く人は見られず、車は私をよけて走り去る。 かつては道の両側に旅館・土産物屋が並んでいたと記憶していたが、今は旅館が数件、店も数件が営業している程度で、チョイと寂しい。 時代は変わったが、街道の面影残す建物もまだ残っている。
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・・・・・・・・・・ 長谷寺参拝客の駐車場がある付近からは、急に人影が目に入る。 『皆さんお車でお越しですか? 楽で良いですね!』
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● やってきました真言宗豊山派総本山「長谷寺」 長谷寺は、大和国と伊勢国を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。 朱鳥元年(686)、僧道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図(国宝)を西の岡に安置したことが始まりと言われてる。 平安時代には貴族、江戸時代には徳川家の崇敬を集め帰依を受けて栄えた。 舞台造の本堂(国宝)は徳川家光による再建。寺宝類としては、本尊十一面観音像をはじめ、約千点にも及ぶ文化財を所蔵する。 仁王門を抜け、本堂へと続く登廊(重要文化財)は399段に渡る石段になっており、天井には楕円形の灯籠が吊られている。 登廊は4月下旬から5月上旬に見頃をむかえるボタンに彩られる。 今の時期は、ボタン、アジサイ、桜、紅葉のどれもこれも無し、あるのは緑鮮やかな樹々のみ。(できれば花の時期に来たかった!)

・・・・・・・・・・ 参道から長谷寺の総門である仁王門(国登録重要文化財)へ向かう。 三間一戸入母屋造り本瓦葺きの楼門である。 両脇には仁王像が出迎える。  現在の建物は明治22年(1889)に再建されたもの。
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・・・・・・・・・・ 仁王門をくぐると登廊(のぼりろう、国登録重要文化財)となる。 平安時代の長歴3年(1039)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、108間、399段、上中下の三廊に分かれてる。 下、中廊は明治22年(1889)再建で、風雅な長谷型の灯籠を吊るしている。、、、、、階段の上りはキツイ! 汗をかきかきボヤくのは『エスカレーターにして欲しい!』 
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・・・・・・・・・・ ゼイゼイ息を切らして上ってきた先に国宝の本堂がある。 小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造)された南面の大殿堂である。正面(内陣)は桁行(間口)の柱間9間、梁間(奥行)同5間、入母屋造本瓦葺で、また礼堂(外陣)は正堂よりやや低く、桁行9間、梁間4間、正面入母屋造本瓦葺。  夏の緑の陰で本堂の全景は撮影できず、チョイと残念。、、、、、堂内に祀られている、本尊である約10mの「十一面観世音菩薩」も撮影禁止。 観音様に合掌し家族の健康を願ってきた。
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・・・・・・・・・・ 本堂から眺める五重塔。 昭和29年(1954)、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、昭和の名塔と呼ばれております。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っています。 度々絵になる五重塔!
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● 妻と長年の約束であった「長谷寺詣で」も済ませ、本日の宿がある橿原神宮前駅へ移動。、、、、、橿原神宮前駅の歴史は古く、3線が乗り入れている。 南大阪線(大阪阿部野橋~橿原神宮前駅、狭軌)と橿原線(大和西大寺~橿原神宮前駅、標準軌)の終点駅、吉野線(橿原神宮前駅~吉野駅、狭軌)は起点駅。 南大阪線と吉野線は直通運転しているが、橿原線は軌間が異なるため南大阪線、吉野線に乗り入れることはない。 橿原神宮前駅の開業は大正12年(1923)3月21日、大阪電気軌道畝傍線(現在の橿原線)平端~橿原神宮前間延伸時に橿原神宮前駅開業に始まる。 駅は2面4線のホームが2つある地上駅。 中央口を挟み東側の1 - 3番のりばは標準軌の橿原線、西側の4 - 7番のりばは狭軌の南大阪線・吉野線である。 改札口は
東、西、中央と3か所ある。、、、、、中央口の駅舎は初代新歌舞伎座の設計で有名な建築家・村野藤吾の設計である。 中央口は橿原神宮の参道に近く皇室の利用もあり、貴賓室を備えた橿原神宮前駅のメインの建物となっている。 建物は神社かお寺かと思わせる外観で、大きな急斜面の屋根が特徴の大和棟を模したコンクリート駅舎である。 駅舎の竣工は昭和15年(1940)、村野藤吾建築事務所が設計し、大林組が施工した。 紀元2600年の式典に合わせて作られたものである。、、、、、今宵泊まるホテルの窓からは橿原神宮前駅を見下ろすことができ、鉄オタの私にはうれしいことであった。
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● 夕食までには時間があり、夫婦そろって橿原神宮(かしはらじんぐう)へ参る。 橿原神宮は橿原神宮は、大和三山の一つ「畝傍山」の麓にあり、神武天皇陵の南に隣接する。 旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。、、、、、明治22年(1889)、初代天皇である神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる橿原の地に、神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るための神宮を創建することを民間有志が請願し、感銘を受けた明治天皇によって明治23年(1890)4月2日官幣大社として創建された。 橿原神宮の設計は、東京帝国大学(現:東京大学)名誉教授を務めた伊東忠太によって行われた。 創建当初の名は橿原神社であったが、明治23年神宮号宣下を受けて橿原神宮に改称された。、、、、、霊峰と崇められる畝傍山を背景に53万m2(甲子園球場約13個分の大きさ)を有する神宮。 境内は信仰の杜として、約76,000本の樹木が植栽され、うち22,000本は全国から寄せられた献木である。 行ってビックリ、見てビックリ、なにしろ広い神社だ!、、、、、第一鳥居第二鳥居とぐぐり、南神門を入ると外拝殿前に砂利を敷き詰めた広場がある。 私が入れたのは、ここ外拝殿まで。
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・・・・・・・・・・ 外拝殿から内拝殿を望む(拝殿前のテントは秋季例大祭の参列者用の準備中) 幣殿、本殿はさらに奥、見えない!、、、、、神様は見えないが、遠路はるばるここまで来たら賽銭も奮発してきた。 金額はナイショ!
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・・・・・・・・・・ 境内のもデカすぎる!
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・・・・・・・・・・ 外拝殿の後ろに畝傍山が見え、ホテルの窓からも畝傍山が見える。
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2024年11月21日 (木)

老いの修学旅行 2

老いの修学旅行二日目は、法隆寺、平等院へ行くことにした。


● 昨夜はJR奈良駅西口前のホテルに泊まってた。、、、、JR奈良駅は関西本線、奈良線、桜井線、片町線の4路線が乗り入れる、島式ホーム3面5線の高架駅。 現在の駅舎は3代目で、平成22年(2010)に完成した3階建ての駅舎。 虹の七色のグラデーションを施したモダンな駅舎。
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・・・・・・・・・・ 
法隆寺行きのバス停は東口にある。、、、、奈良駅の東口には、平成15年(2003)まで使われていた2代目駅舎が、現在の駅舎前に曳家され、奈良市総合観光案内所として保存活用されている。 この旧(2代目)駅舎は昭和9年(1934)に完成したもので、周囲の景観に配慮して方形屋根に相輪を持つ和洋折衷様式が採用されている。 大阪鉄道局建築課が京都帝室美術館懸賞設計に応募し落選した設計案を再利用したものだったそうだ。 平成23年(2011)に土木学会選奨土木遺産となっている。、、、、私は50数年前にこの駅に降り立ったことを覚えてる、懐かしいね!
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● 奈良駅前からバスに揺られて50分、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺前バス停に到着。 人影の少ない参道を歩く。、、、、南大門をくぐり境内に足を踏み入れると、いつの間にか大勢の参拝客がいることに気づく。、、、、法隆寺は聖徳宗の総本山の寺院。 山号は無い。 本尊は釈迦如来。 創建当時は斑鳩寺(鵤寺 = いかるがでら)と称し、後に法隆寺となった。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える寺であり、聖徳太子ゆかりの寺でもある。、、、、法隆寺は世界最古の木造建築を有し、五重塔、金堂、夢殿など知る人も多いはず。 法隆寺が所有する宝物類は国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、約2500点もあるそうだ、スゴイ!
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・・・・・・・・・・ 拝観料払って西院伽藍に入ると、わが国最古の五重塔、釈迦三尊像を祀る金堂、薬師三尊像を祀る大講堂が目の前に現れる。 見るもの全て“国宝・重文”、触って壊したら一大事! 
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・・・・・・・・・・ 法隆寺で修学旅行生に遭遇、バスガイドさんが旗を持って先導してきた。 よく見ると、黄色い通学用の帽子をかぶった小学生だ、全員手作りと思われる「修学旅行」(日帰りか?)と表示した資料を持ってる。 滋賀県の小学校の生徒らしい。 バス数台分の生徒だ、200人ぐらいかな? 金堂前では記念撮影もしてる。
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・・・・・・・・・・ 修学旅行の小学生御一行様の列は法隆寺東院の夢殿まで続く。 一般の拝観者は、小学生の列に混ざり遠慮がちに拝観してる。『チョイト中を見せてね!』
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・・・・・・・・・・ 主要な建物・宝物を見たあと、小学生の列とも別れ、静かに境内から去る。、、、、『柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺』、、、、法隆寺の最後は“柿の葉ずし”で〆る
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● 老いの修学旅行、最後はチョイト京都に入って、平安の極楽浄土:宇治「平等院」に寄って見た。

・・・・・・・・・・ JR宇治駅は、明治29年(1896)1月25日に奈良鉄道の桃山駅~玉水駅間延伸時に開業した。 明治38年(1905)、奈良鉄道は合併により関西鉄道となる。 1907年(明治40年(1907)には、関西鉄道の国有化により官営鉄道の駅となる。 平成12年(2000)のホーム改良により、島式ホーム2面4線の橋上駅となる。、、、、駅舎の外観は平等院鳳凰堂をモチーフとしていると言われているが、私はそれを聞くまで気づかなかった。(感性が鈍いのか?)
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・・・・・・・・・・ 駅から平等院への参道は、外人が多く浅草の仲見世通りを歩いているようだ!
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・・・・・・・・・・ 平等院山門の拝観受付はもの凄い行列!、、、、単純な我が夫婦はJR東海のCMに魅せられ、真赤に色付いた紅葉の平等院を静かに鑑賞できることを期待したが、期待はチョイト裏切られたようだ。
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・・・・・・・・・・ 平等院の宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属しておらず、塔頭である本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している。 本尊は阿弥陀如来。、、、、ここでJR東海のCMの文書を引用すると、『京の都ができるより遥か早く拓けた宇治。宇治川を中心とした美しい景観に恵まれ、やがて多くの平安貴族の別荘地へ。平等院も元は藤原道長の別荘でした。やがて自然災害、内乱、疫病などで社会に不安の兆しが現れます。ついに道長没後25年目の一〇五二年、末法初年に長男頼通が寺への改修に踏み切り、名前も平等院へ。高さ3m近い阿弥陀如来坐像や周りの「雲中供養菩薩像」を揃えた彼の願いは、極楽の様子をこの世に具現化して、人心の不安を救うことだったのでしょうか。』
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● 東大寺・春日大社・興福寺・法隆寺・平等院と、修学旅行の定番コースを巡ってきたが、私たちの知る“50年前の修学旅行”は姿を消した。 今の中学生・高校生の修学旅行はどんな内容で実施されているのか知りたいね!(帰りの新幹線車中で夫婦の話題)、、、、楽しかった、京都・奈良の修学旅行を思い出す

2024年11月20日 (水)

老いの修学旅行 1

私も妻も70歳代、共に中学の修学旅行は京都・奈良だった。 それから50数年程経過したが、“奈良”には行く機会も少なかった。 “奈良”と言えば、詳しいことは何も知らないが、“古都奈良”から連想される“大仏”、“鹿”は知ってるつもり。 知ってるようで知らないのが“奈良”である。、、、、20日、21日の二日間、老いの修学旅行として、中学生の頃を思い出しながら、奈良を代表する寺社を巡ってきた。




● まず二人で向かうのは、奈良の代表格である「東大寺」へ

・・・・・・・・・・ 奈良公園に入り、まず驚いたのは、修学旅行の生徒がいない! 見渡す限り周囲は、“外人”と“鹿”ばかりだ! 私も妻も、記憶にあるのは旗を持ったバスガイドさんに引率されて歩く修学旅行の生徒の姿。 当時の面影は何処に? それにしても、インバウンド客の多いことにもビックリだ!、、、、よく見ると少数の修学旅行生(グループ)の姿が見えた、それにしても少なすぎるね。 今時の修学旅行も変わったようだ! 
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・・・・・・・・・・ 鹿に“せんべい”を与え、なくなれば鹿に追われ、鹿の糞を避けてよろめき、鹿に遊ばれイザ大仏へ
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・・・・・・・・・・ やってきました「大仏殿」(現在の大仏殿は江戸時代の宝永6年(1709)に再建されたもの )、、、、大仏殿前にも学生服を着た修学旅行御一行様の姿は見えず、時代の変化を再び感じる、、、、大仏様とは、かれこれ60年ぶりの御対面、、、、外人さんにカメラを渡し『撮ってチョウダイ、ツーショット』
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・・・・・・・・・・ 大仏殿から「二月堂」へ、、、、二月堂は、旧暦2月に「お水取りが行われることからこの名がある。 堂は、寛文7年(1667)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。、、、、若草山を背にして、丘の上に建つ二月堂の舞台から奈良の街が一望できる
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・・・・・・・・・・ 二月堂の隣りに「三月堂」、三月堂の前に「四月堂」、五月堂は“どこにも
無いどー”、、、、三月堂は、華厳経を講じ法華堂と言われてる。 旧暦3月に法華会が行われることから三月堂と呼ばれてきた。 不空羂索観音立像はじめとする、奈良時代の仏像が安置されている仏堂。 740年代頃の建立。、、、四月堂は、三昧堂とも言い法華三昧会が旧暦4月に行われることからこの名がある。 延宝9年(1681)建立、二重寄棟造の小さな堂である。
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・・・・・・・・・・ 二・三・四月堂から春日大社へ向かう地続きに、「手向山八幡宮」がある。 かつての東大寺の鎮守社で、明治4年(1871)の神仏分離の際に東大寺から独立した。、、、、校倉造の宝庫などもあり、さすがは歴史ある東大寺の鎮守社だ!
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● 東大寺から若草山の裾を歩いて春日大社へ向かう、、、、色付いた紅葉の下、鹿と遊ぶのは隣の国(?)の女の子。
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● 「春日大社」は、全国に約1千社ある春日神社の総本社。 奈良時代の神護景雲2年(768)に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀る。 主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。

・・・・・・・・・・ ここ春日大社の参道で行き交う人は“皆”外人と思えるほど、インバウンド客が多い。、、、、ここにも、修学旅行の学生は見当たらず。 どうしたのか考えて、私の出した答えは『インバウンドの外人が多く、京都・奈良の宿は宿泊料が高騰し、修学旅行で泊まれる宿が無くなった!』 それと『京都・奈良は外人人気が高まり、交通も人も渋滞は激しく、修学旅行のスケジュール調整が難しくなった!』 きっとこんな理由で、修学旅行の学生が消えてしまったのかも?
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・・・・・・・・・・ 境内の建物、全てが国宝・重要文化財と言っても過言ではないような朱塗りの荘厳な社である。、、、、巫女さんまで国宝に見える!
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● 今日の最後は「興福寺」に参拝。、、、、興福寺は、法相宗の大本山の寺院。山号はない。本尊は中金堂の釈迦如来。 藤原鎌足夫人(鏡王女)が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669)に山背国山階(現:京都市山科区)で創建した山階寺が興福寺の起源である。 壬申の乱のあった天武天皇元年(672)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺と称した。 和銅3年(710)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。 この和銅3年が実質的な興福寺の創建年。

・・・・・・・・・・ 興福寺と言えば、猿沢池に映る五重塔(高さ50.1m)を期待して来たが、ナントナント只今修理中で足場に覆われ姿は見えず、ガッカリ! 鎌倉時代前期に建てられた高さ19mの三重塔(国宝)を見て自分で自分を慰める。
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・・・・・・・・・・ 興福寺の中心的な建物は「中金堂」と呼ばれる建物で、創建1,300年となる平成22年(2010)に再建工事に着工し、平成30年(2018)に落慶した。
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・・・・・・・・・・興福寺の仏像と言えば「阿修羅」に代表される多くの国宝・重要文化財がある。 その多くの仏像は興福寺国宝館に収納され公開されていた。、、、、もちろん有料(拝観料は700円)、撮影はダメ、多くの仏像を見ても、かろうじて覚えているのは「阿修羅」と「仏頭」ぐらい。 年とると記憶力も衰えるね!
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・・・・・・・・・・ 弘仁4年(813)に創建された華やかな八角形の「南円堂」を回って興福寺を後にする。
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● 今宵の宿は、クリスマスツリーも飾られた「ホテル日航奈良」、、、、美味しい和食、夫婦で満足し『
Good Night!』
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