奈良県

2024年11月21日 (木)

老いの修学旅行 2

老いの修学旅行二日目は、法隆寺、平等院へ行くことにした。


● 昨夜はJR奈良駅西口前のホテルに泊まってた。、、、、JR奈良駅は関西本線、奈良線、桜井線、片町線の4路線が乗り入れる、島式ホーム3面5線の高架駅。 現在の駅舎は3代目で、平成22年(2010)に完成した3階建ての駅舎。 虹の七色のグラデーションを施したモダンな駅舎。
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法隆寺行きのバス停は東口にある。、、、、奈良駅の東口には、平成15年(2003)まで使われていた2代目駅舎が、現在の駅舎前に曳家され、奈良市総合観光案内所として保存活用されている。 この旧(2代目)駅舎は昭和9年(1934)に完成したもので、周囲の景観に配慮して方形屋根に相輪を持つ和洋折衷様式が採用されている。 大阪鉄道局建築課が京都帝室美術館懸賞設計に応募し落選した設計案を再利用したものだったそうだ。 平成23年(2011)に土木学会選奨土木遺産となっている。、、、、私は50数年前にこの駅に降り立ったことを覚えてる、懐かしいね!
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● 奈良駅前からバスに揺られて50分、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺前バス停に到着。 人影の少ない参道を歩く。、、、、南大門をくぐり境内に足を踏み入れると、いつの間にか大勢の参拝客がいることに気づく。、、、、法隆寺は聖徳宗の総本山の寺院。 山号は無い。 本尊は釈迦如来。 創建当時は斑鳩寺(鵤寺 = いかるがでら)と称し、後に法隆寺となった。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える寺であり、聖徳太子ゆかりの寺でもある。、、、、法隆寺は世界最古の木造建築を有し、五重塔、金堂、夢殿など知る人も多いはず。 法隆寺が所有する宝物類は国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、約2500点もあるそうだ、スゴイ!
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・・・・・・・・・・ 拝観料払って西院伽藍に入ると、わが国最古の五重塔、釈迦三尊像を祀る金堂、薬師三尊像を祀る大講堂が目の前に現れる。 見るもの全て“国宝・重文”、触って壊したら一大事! 
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・・・・・・・・・・ 法隆寺で修学旅行生に遭遇、バスガイドさんが旗を持って先導してきた。 よく見ると、黄色い通学用の帽子をかぶった小学生だ、全員手作りと思われる「修学旅行」(日帰りか?)と表示した資料を持ってる。 滋賀県の小学校の生徒らしい。 バス数台分の生徒だ、200人ぐらいかな? 金堂前では記念撮影もしてる。
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・・・・・・・・・・ 修学旅行の小学生御一行様の列は法隆寺東院の夢殿まで続く。 一般の拝観者は、小学生の列に混ざり遠慮がちに拝観してる。『チョイト中を見せてね!』
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・・・・・・・・・・ 主要な建物・宝物を見たあと、小学生の列とも別れ、静かに境内から去る。、、、、『柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺』、、、、法隆寺の最後は“柿の葉ずし”で〆る
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● 老いの修学旅行、最後はチョイト京都に入って、平安の極楽浄土:宇治「平等院」に寄って見た。

・・・・・・・・・・ JR宇治駅は、明治29年(1896)1月25日に奈良鉄道の桃山駅~玉水駅間延伸時に開業した。 明治38年(1905)、奈良鉄道は合併により関西鉄道となる。 1907年(明治40年(1907)には、関西鉄道の国有化により官営鉄道の駅となる。 平成12年(2000)のホーム改良により、島式ホーム2面4線の橋上駅となる。、、、、駅舎の外観は平等院鳳凰堂をモチーフとしていると言われているが、私はそれを聞くまで気づかなかった。(感性が鈍いのか?)
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・・・・・・・・・・ 駅から平等院への参道は、外人が多く浅草の仲見世通りを歩いているようだ!
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・・・・・・・・・・ 平等院山門の拝観受付はもの凄い行列!、、、、単純な我が夫婦はJR東海のCMに魅せられ、真赤に色付いた紅葉の平等院を静かに鑑賞できることを期待したが、期待はチョイト裏切られたようだ。
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・・・・・・・・・・ 平等院の宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属しておらず、塔頭である本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している。 本尊は阿弥陀如来。、、、、ここでJR東海のCMの文書を引用すると、『京の都ができるより遥か早く拓けた宇治。宇治川を中心とした美しい景観に恵まれ、やがて多くの平安貴族の別荘地へ。平等院も元は藤原道長の別荘でした。やがて自然災害、内乱、疫病などで社会に不安の兆しが現れます。ついに道長没後25年目の一〇五二年、末法初年に長男頼通が寺への改修に踏み切り、名前も平等院へ。高さ3m近い阿弥陀如来坐像や周りの「雲中供養菩薩像」を揃えた彼の願いは、極楽の様子をこの世に具現化して、人心の不安を救うことだったのでしょうか。』
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● 東大寺・春日大社・興福寺・法隆寺・平等院と、修学旅行の定番コースを巡ってきたが、私たちの知る“50年前の修学旅行”は姿を消した。 今の中学生・高校生の修学旅行はどんな内容で実施されているのか知りたいね!(帰りの新幹線車中で夫婦の話題)、、、、楽しかった、京都・奈良の修学旅行を思い出す

2024年11月20日 (水)

老いの修学旅行 1

私も妻も70歳代、共に中学の修学旅行は京都・奈良だった。 それから50数年程経過したが、“奈良”には行く機会も少なかった。 “奈良”と言えば、詳しいことは何も知らないが、“古都奈良”から連想される“大仏”、“鹿”は知ってるつもり。 知ってるようで知らないのが“奈良”である。、、、、20日、21日の二日間、老いの修学旅行として、中学生の頃を思い出しながら、奈良を代表する寺社を巡ってきた。




● まず二人で向かうのは、奈良の代表格である「東大寺」へ

・・・・・・・・・・ 奈良公園に入り、まず驚いたのは、修学旅行の生徒がいない! 見渡す限り周囲は、“外人”と“鹿”ばかりだ! 私も妻も、記憶にあるのは旗を持ったバスガイドさんに引率されて歩く修学旅行の生徒の姿。 当時の面影は何処に? それにしても、インバウンド客の多いことにもビックリだ!、、、、よく見ると少数の修学旅行生(グループ)の姿が見えた、それにしても少なすぎるね。 今時の修学旅行も変わったようだ! 
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・・・・・・・・・・ 鹿に“せんべい”を与え、なくなれば鹿に追われ、鹿の糞を避けてよろめき、鹿に遊ばれイザ大仏へ
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・・・・・・・・・・ やってきました「大仏殿」(現在の大仏殿は江戸時代の宝永6年(1709)に再建されたもの )、、、、大仏殿前にも学生服を着た修学旅行御一行様の姿は見えず、時代の変化を再び感じる、、、、大仏様とは、かれこれ60年ぶりの御対面、、、、外人さんにカメラを渡し『撮ってチョウダイ、ツーショット』
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・・・・・・・・・・ 大仏殿から「二月堂」へ、、、、二月堂は、旧暦2月に「お水取りが行われることからこの名がある。 堂は、寛文7年(1667)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。、、、、若草山を背にして、丘の上に建つ二月堂の舞台から奈良の街が一望できる
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・・・・・・・・・・ 二月堂の隣りに「三月堂」、三月堂の前に「四月堂」、五月堂は“どこにも
無いどー”、、、、三月堂は、華厳経を講じ法華堂と言われてる。 旧暦3月に法華会が行われることから三月堂と呼ばれてきた。 不空羂索観音立像はじめとする、奈良時代の仏像が安置されている仏堂。 740年代頃の建立。、、、四月堂は、三昧堂とも言い法華三昧会が旧暦4月に行われることからこの名がある。 延宝9年(1681)建立、二重寄棟造の小さな堂である。
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・・・・・・・・・・ 二・三・四月堂から春日大社へ向かう地続きに、「手向山八幡宮」がある。 かつての東大寺の鎮守社で、明治4年(1871)の神仏分離の際に東大寺から独立した。、、、、校倉造の宝庫などもあり、さすがは歴史ある東大寺の鎮守社だ!
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● 東大寺から若草山の裾を歩いて春日大社へ向かう、、、、色付いた紅葉の下、鹿と遊ぶのは隣の国(?)の女の子。
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● 「春日大社」は、全国に約1千社ある春日神社の総本社。 奈良時代の神護景雲2年(768)に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀る。 主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。

・・・・・・・・・・ ここ春日大社の参道で行き交う人は“皆”外人と思えるほど、インバウンド客が多い。、、、、ここにも、修学旅行の学生は見当たらず。 どうしたのか考えて、私の出した答えは『インバウンドの外人が多く、京都・奈良の宿は宿泊料が高騰し、修学旅行で泊まれる宿が無くなった!』 それと『京都・奈良は外人人気が高まり、交通も人も渋滞は激しく、修学旅行のスケジュール調整が難しくなった!』 きっとこんな理由で、修学旅行の学生が消えてしまったのかも?
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・・・・・・・・・・ 境内の建物、全てが国宝・重要文化財と言っても過言ではないような朱塗りの荘厳な社である。、、、、巫女さんまで国宝に見える!
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● 今日の最後は「興福寺」に参拝。、、、、興福寺は、法相宗の大本山の寺院。山号はない。本尊は中金堂の釈迦如来。 藤原鎌足夫人(鏡王女)が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669)に山背国山階(現:京都市山科区)で創建した山階寺が興福寺の起源である。 壬申の乱のあった天武天皇元年(672)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺と称した。 和銅3年(710)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。 この和銅3年が実質的な興福寺の創建年。

・・・・・・・・・・ 興福寺と言えば、猿沢池に映る五重塔(高さ50.1m)を期待して来たが、ナントナント只今修理中で足場に覆われ姿は見えず、ガッカリ! 鎌倉時代前期に建てられた高さ19mの三重塔(国宝)を見て自分で自分を慰める。
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・・・・・・・・・・ 興福寺の中心的な建物は「中金堂」と呼ばれる建物で、創建1,300年となる平成22年(2010)に再建工事に着工し、平成30年(2018)に落慶した。
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・・・・・・・・・・興福寺の仏像と言えば「阿修羅」に代表される多くの国宝・重要文化財がある。 その多くの仏像は興福寺国宝館に収納され公開されていた。、、、、もちろん有料(拝観料は700円)、撮影はダメ、多くの仏像を見ても、かろうじて覚えているのは「阿修羅」と「仏頭」ぐらい。 年とると記憶力も衰えるね!
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・・・・・・・・・・ 弘仁4年(813)に創建された華やかな八角形の「南円堂」を回って興福寺を後にする。
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● 今宵の宿は、クリスマスツリーも飾られた「ホテル日航奈良」、、、、美味しい和食、夫婦で満足し『
Good Night!』
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